年末が近づき、葉書が届く。 それは自分が歳を重ねるごとにだいぶ多くなったように感じる。 その中で、友人の親族がほとんどだけど、 一通だけ自分の親族の(と思っていた)叔母の逝去の通知も入っていた。 それももう半年も前のことだった。 私にとっては最後の直系の親世代の伯母だった。 飛行機で行くような距離ではなく電車に乗れば行くことのできる距離に伯母は住んでいたのに、気になりながらも年賀状だけの行き来となっていた。 どうしてすぐに知らせてくれなかったのかなあ〜と思いながら、同時
とても懐かしい味のサテーをご馳走になった。20年以上、食べていなかったのにいただいたら思い出した。甘くてまろやかなソースが大好きだったのを思い出した。 そう言えば、初めての海外で大好きだったのは細長いパンにクリームがたっぷり入ったクリームドーナツだった。 あのイギリスっぽい名前の通りの角のビルのベーカリーで見つけた。大好きだったのにあるとき、買って帰りワクワクしながら一口食べようとしたら何故か食べられなかった。おかしいなあと思ったら我が家の二人目の子供が登場してきた。そうあの
今年はとても蕾が硬い。もう2週間くらいの間、すっかり開花せずにいる気がする。 私も時間だけは経っているのにいつまでも開花しないなあ〜しかもこんなに素敵なわけでもないし。。どうしようかなあ?これで良いのかなあ?と、今頃やっと気づきはじめている。 好奇心はかなりあるのだが、それを開花させることなく気が散ってしまう。そしてそこから前に進めないでいる。自分を守ろうと自己開示ができないために自分が何者なのか他人に対してだけでなく自分でもわからなくなっているのかな。 ふと、それがまずいと
9月中旬、JRの駅からその会場まで滅多に乗らない電車に乗って2日間通った。その自動運転の乗り物の中でのアナウンスに驚いた。 「この列車は無人運転をしています。ドアの開閉も自動です。ベビーカーなど開閉にお時間のかかる方はインターフォンでお知らせください。調整いたします。」 お昼頃の乗車だったが案外、混んでいてインターフォンがどこにあるのか確認することさえできなかった。ベビーカーの人も乗車していた。私は勝手にドキドキしてしまった。何事もなかった。でもこれでいいのだろうか?誰も こ
24年ぶりに訪れた街、日本より過ごしやすく驚いた。ほぼ10年ぶりの長い(11日間)旅行で体力に少し不安があったが無事に楽しく過ごし戻って来れた。ほっ!街の経済的な発展がすごいと聞いていたものの想像以上だった。道路は複雑になり、バイクはかなり少なくなりピカピカの車ばかりが走っていた。 緑も多く美しい街だと改めて思った。 古い街の佇まいはそのまま残っているようだった。以前はたくさんの日本人観光客や在住者がいたが、以前のように日本人の姿をあまり見かけることはなかった。その昔、日本人
昨年はすごい豊作だったから今年はほぼ諦めてた。 だからこの小さな柿を見つけた時はとても嬉しかった。 時々、生き物の生命力に驚かされる! この柿はずっとこうやって生き延びできたのに私は長い長い間、 こんなことに気が付きもしなかったんだなあ!
私は何をしてきたのかな〜 自分は正しいって思っていたんだろうと思う。 その正義の剣を自分にも周りの人にも突きつけていたのだろうか? その剣でバサバサ切っていったら、自分の周りを小さく切り取ってしまったようだ。 こんなことをしたかったのかなあ? 正義って自由って何? 自分を大切にすることと人を尊重することって両立するのかなあ〜 今日は本当に冴えない気分だ
なんだか気高い雰囲気を持つ花 ひっそりと咲いていたのに気づいたのはいつだったかなあ〜 しばらく私はなぜか気落ちしている 私はクレマチスからは程遠い 雑多なたくましい雑草の中にいるのに なぜかそこにすっかり浸って安心することができない だから心がざわざわするのか 鳥たちや花たちの美しさには癒されているのに、自分の心を本当に癒すことができるのは何なんだろう?
ヘビイチゴと漢字で書こうとするとドキッとする。だから翻訳サイトで調べてみた。インディアンストロベリーと会った。本当かなあ?と思いながらも書くとずっと印象が違う。そういえば、小春日和のこと Indeian Summer と訳してるなあ〜 今日は爽やかな春の終わりだけど。 昨日、出かけて行った集まりでこれまでこの街では見かけることがまずなかった柔らかいけどとてもシャープな印象の人に出会った。それはどうしてそう思ったのかよくわからないが、この街に欠けている何かを持っている人のように
ふと、外を見ると猫がいた。どこの子? そう言えば二週間ほど前にも見かけた。 その存在に驚いてそーっと近づくと、シャー!と威嚇された。 なんで?よそのウチに勝手に来てシャーはないよね。と思った。 でも可愛い子だとも思った。 そして今日、久しぶりにこの子は自分の家にいるみたいに安心して くつろいている。まるでコンニチワと言っているような顔をして シャーとは言わない。すごいなあ!覚えたんだろうか? 気がつくともういなくなってた。
ずっと昔、春の庭にはピンクや赤や白のツツジの花が鮮やかに咲いていた。そしてこどもだった私は、その蜜を吸って遊んだものだった。それは甘くて美味しかった。美しく楽しい季節だった。 自分がこどものときは、自由がなくて早く大人になりたいと思っていたのに、大人になってからは、こどもに戻りたいと思うのはなぜだろう? あの頃に戻ってやり直したいなあと思ったりする。でもきっと同じことをしてしまうんだろう。。
キンカンは冬にも成っていたが、今も少しずつだけどずっと成っている。すごいなあと思う。時々、ヒヨドリに突つかれているようだが。。。 私はここの土地に来てすごく変わったところがあるなと思ったことがある。 馴染めないところというべきだろう。共通の知り合いを介して近所に住む人に初めての挨拶をした時に(彼女は確か同じぐらいの年齢の子供のいる女性だった)、「オタクのご主人はどこの大学のどの研究室のご出身?」と聞かれたことだった。私のことではなく、彼女が会ったこともない私の連れ合いの出身
シダとは違ってこのチューリップは主張が強い。華やかだけど。 私は、久しぶりにばったり出会った人のトーンが濃くて少し疲れた。この感情はなんだろう?ざわざわしている。その攻撃性は何に向かう? ひっそりとではなくしっかりビッグワードを使いながら主張してその場を支配しようする空気を肌で感じながら、自分は我関せずとシダのように振舞うこともできなくて、またしても逃げ出したい気持ちになった。 そして気がつくとシダのように見えた人が静かに恥じらったような面持ちで優しくその人に言葉を返して
その日は、所属しているグループの集まりで久しぶりに私も顔を出した。初めて来てくれた人たちが数人いた。 私は、前回のような違和感を感じることなくそこにいることができた。その日集まった人たちとの会話はシダ類の混ざった藪のような柔らかな印象だった。なぜかな?どこが違ったんだろう。 私は普通に話をすることができたし、立ち上がりたくなるような強い衝動に駆られることもなかった。 初めて出会った人は淡々と自己紹介をして自分がこの街で何をしたいか真っ直ぐに語っていた。それは私の心にもスーと
前回、投稿してから一週間前ごろまで急に忙しくなっていた。2ヶ月くらい経っていた。寒かった季節が春になっていたことに改めて気がついた。 たった1日のイベントだったが、その準備や後処理がちょっとたいへんだった。しかしとても楽しかった。普段はあまり顔を合わせることができない人たちと一緒にイベントをやり遂げた。それは本当に不思議な充実感だった。なんて久しぶりの喜びだろう! つまり普段、こういう喜びを感ずることがなかったのかなあ〜