幸せのカケラ②
≪絵里奈の章≫
『奈津美!』
と、私は新宿の駅の雑踏の中で、なぜ彼女の姿が目に入ったんだろう、
と思う前に彼女の名前を呼んでいた。
ちょっといぶかしげに振り返った彼女は、すぐに笑顔になり
『え、絵里奈!?うっそ、久しぶり・・なにしてんのぉ?』
と人の波を逆流しながら私の方に歩いてきた。私達は
人の邪魔にならない 柱の陰の方に移動しながら
『今から支部に行くとこ』
と答えた。
『あ、そうなんだ。あれ 、旦那さん、今、こっち?』
と奈津美に聞かれて
『あー。うん。旦那ね。ってか、元旦那だけど。』
と答える。
『え、そうなの?』
『うん。この前
別れた。』
『陽向
(ひなた 君は?』
『うちの 大学 よ 』
『えー、ホント?すごいね。時間経ってるねー。』
そう言って笑う彼女の姿が、な んだかすごく透明な光を帯びていた。
奈津美と私は同じ神様を信じていて、
学生の時によく一緒に活動をしていた。
私が結婚した頃からだんだん奈津美とは疎遠になってしまって、ここ数年は全く連絡をとっていなかった。
『アタシ、今、大学にいるの。手伝い程度だけどね』
『え、そうなの!?陽向に会わない?』
『まだ会ってない、っていうか、いてもわかんないよ。』
『あ、そっか。』
『またゆっくり話したいな』
『うん、私もそのうち大学に行くわ』
『連絡してね』
そう言って手を振って歩いて行く奈津美を見送って
から 、私も山手線の方に歩きかけて
そうだ、携帯番号を、と振り返った時にはもう
奈津美の姿は見えなくなっていた。
私は山手線に揺られながら、旦那と (元だけど )
つきあいだした頃のことを思い出していた。
あの日、彼はとても悲しい顔をしていた。
私は、次の日使うチラシをクリップ留めしながら、
隣で他の作業をする彼の顔があまりに も悲しそうだったので、
『どうかした?』
と聞くと、彼は、ゆっくりと首を振り、
『なんでもない』
と言った。全然なんでもないって顔をしてなかったけど、
私はそのまま作業を続けた。彼とは大学が一緒で偶然職場も一緒だった。
その時は同じ部署で働いてい た 。
昼休みに、社食で彼を探してもいなかった ので、
なんとなく気になって屋上に行くと、彼が屋上のフェンスにもたれて
空を見上げていた。近づいて行くと、うっすらと微笑む。
『大丈夫?』
と聞くと
『・・・・妹が死んだんだ。』
と言った。
『妹さん?』
彼から妹の話なんて聞いたこ
となかった。
『御病気・・?』
『いや。事故・・いや・・自殺。』
『そう・・』
私はそれ以上なんて言っていいかわからず、彼の横に立って空を見上げた。
『妹が何を考えているのかさっぱりわからなかったな。
好きな人の後を追って死んだんだ。
と言っても、高校の時から離れ離れに暮らしていたし、
ほとんど連絡もとってなかった んだけど 。・・・幸せだったのかな。』
そういう彼の横顔を見ていたら、私は彼のことがほっとけなかった。
どうにかしてあげたいと思った。
『ねぇ、この本読んでみて』
そう言って私は、 私が信仰している宗教の冊子を彼に渡した。
彼はそれをちらっと横目で見て
『あぁ、キミ、そう言えばそこの信者だったよね』
そう言って
『ありがとう。読んでみるよ。』
と、その冊子を受け取った。
彼は、その週末に、私が信仰している支部に連れて行って欲しいと言った。支部にある本をむさぼるように読んだ後、会員 になった。
『ありがとう、絵里奈。キミのおかげで僕は救われた。
僕はこれからキミと同じように、ここの信者として生きていくよ。』
そう言って私のことを愛していると言った。
私は彼のことを恋愛対象として見たことはなかったけど、
結婚相手にならいいかな、と思った。
なにより私は伝道活動に一生をささげようと思っていたから。
同じ信者の方がいろいろ面倒なこともないし、結婚していた方が
有利なこともたくさんある。半年の交際期間を経て私達は結婚した。
神様の 願うユートピアを実現するパートナーとして。
見つめあう二人でなく、同じ方向を向く二人として。私はすぐに妊娠した。その頃ちょうど彼は 、 治安の良くない海外の支部に 単身で行くことに
なっていて、子供の名前を『陽向』 にしたいと言った。
『絵里奈・・。もし、僕に何かあったとしたら・・・。
お腹の子供には“陽向”という名前をつけて。
太陽の陽に、向かうと書いて、ひなた。男の子でも女の子でも。』
『なんでそんなこと言うの?やめてよ、何かあるってなに?』
『万が一、だよ。大丈夫、なにもないよ。ちゃんと僕は帰ってくるから。
キミのところに帰ってくるから。』
そう言って私を抱き寄せる彼を、愛していると思っていた。
自分を愛してくれるこの人を、私も愛そうと思った。
でもそれは間違っていたのかもしれない。
毎日朝早く出かけて夜遅く帰ってくる彼を、私は子育ての傍ら、
支部での活動に費やした。彼が地方に異動になった時に、
ついて来て欲しいという 彼 の願いを断った。
『だって、私には今、ここでの支部活動が大切なの。
きっと2 年かそこらでまた転勤になると思うわ。早い人では 3 か月で異動になるのよ?それでいちいち一緒について行ってたら、
他の雑用で活動ができなくなるじゃない。』
それが私の考え方だった。
『あなたと一緒になった時から平穏な家庭が作れるなんて思ってなかった。私達はよりそっていくのではなく、同じ方向を向いて、
神様 のために生きていくのよ。それはあなたもわかっているでしょう?
私は今までも、そしてこれからもあなたと闘っていくのよ。
神様のために。 神様 の願いのために。』
私達が一緒にいる意味は何なんだろう?
陽向の親としていることだけ?それでよかったのか、
最近、わからなくなってきた。私達の間に、愛があるのか、ないのか、
それさえもわからない。家族ってこういうものなのか、
と考えてもわからない。彼の携帯に“会いたい”とメールしてくる子が
いることを知っている。それを見ても 、 たいしてショックじゃなかった。うまく言葉には出来ないけど、ある意味ホッとした。
私に向かってくる彼の愛が 重荷だったから、と言ってしまえば
身も蓋もないけど。でも、私が彼を愛していないわけじゃない。
私は私なりに彼を愛していたし、幸せになって欲しいと思っていた。
あの日、哀しそうにしている彼に、冊子を差し出した時の気持ちのまま、
今も変わらない。
ただその向いている方向が、私と彼とでは違っていただけ。
別れたことを後悔しているわけじゃないのに。
私の中のこの虚無感はいったい、なんなんだろう?