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長崎県人として 2
禁じられていたキリスト教を信奉する隠れキリシタンを摘発し その処罰を行うことは、江戸期を中心に度々行われた。キリシタンが多かった我が長崎においても 見せしめの意味も兼ねて、ナチスも驚くような非人道的な拷問が行われた。石に手足を縛り付けて海に沈める、引き潮の際 海底に突き刺した十字架にキリシタンをくくりつけて満ち潮で溺死させる、裸にして熱湯をかける などの蛮行が、実行の告知をして集めた人々が見つめる中で行われた(スコセッシ監督の映画『沈黙』にもいくつかの手法が描写されている)。しかし私が思う 最も残忍な拷問は、親が見ている前で幼い我が子が泣き叫びながら責めを受けることではないだろうか。それでも棄教しなかった親の気持ちは私には到底理解できないが、これ以上に酷い仕打ちがこの世にあるとは思えない。
明治に入りキリシタンへの迫害は無くなったのかといえばそうではなく、神道で国をまとめたい政府にとっては、キリスト教は邪魔な存在でしかなかったから、新しい時代が幕を開けた後も結局キリシタン受難の時代は続いたのである。
五島列島では江戸時代より かえって明治維新前後から、キリシタンに対する苛烈な迫害が始まった。明治3年には私の生家近くでも、キリシタンである一家6人が藩士により惨殺された事件が起きたが、さらに久賀島(ひさかじま。五島列島の五つの島の内 南から2番目にある島)における「牢屋の窄(ろうやのさこ)事件」のことを、私はぜひ多くの人に知って欲しいと思っている。
五島藩はお上の意向に従わない島内の老若男女200人以上を、わずか6坪ほどの小屋に8ヶ月に渡り監禁して棄教させようとしたのである。ぎゅうぎゅう詰めの牢内ゆえ、大人に挟まれて足が地面につかないような子供もいた(畳1枚あたり17人弱の割り当てとなる)という。
収牢されたキリシタンたちは朝夕1片ずつの芋だけを与えられ、排泄も垂れ流しであった。横になることさえできないような収牢期間が続く間に 老人や子供、要するに弱い者から次々に力尽き、合わせて40人以上がパライソ(簡単に言えば教徒にとっての楽園)に召された。現在その 小屋=牢屋 があった場所には記念聖堂(テーマ画像)が建てられているが、風化させてはならない史実だと思う。
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キリシタンの間では、殉教することでパライソに至ることができるのだと信じられていたらしいのだが、拷問死したキリシタンたちは今 楽園パライソで笑って暮らしているのだろうか? またそうであってほしいと、オリンピックに一喜一憂する平和な今の世にふと思う。