昭和歌謡は怖い 3
《『元気ですか』という題の朗読
〜『怜子』》 中島みゆき
昭和53年04月10日発売 キャニオンレコード
【プロローグ:朗読】
『元気ですか』」と電話をかけました
あの女(ひと)のところへ 電話をかけました
いやな私です
やめようと思ったけれど
いろんなこと わかっているけれど
わかりきってるけれど 電話をかけました
あの女(ひと)に元気かとききました
あの女(ひと)に幸せかとききました
わかっているのに わかっているのに
遠回しに 探りをいれてる私
皮肉のつもり 嫌がらせのつもり
いやな私・・・
あいつに嫌われるの 当り前
あの女(ひと)の声は濁りがなくて
真夜中なのに つきあってくれる
きっと知ってるのに
あいつ言ったでしょう・・・私のこと
うるさい女って 言ったでしょう・・・
・・・そうね
あいつはそんな男じゃない わかってる
あいつのことうるさく追いかける私
誰だって知ってる
でもあなただけ笑わなかった
やさしいのね やさしいのね
あの頃はもう 愛されていたから?
・・・何を望んでいるの あたし
あの女(ひと)もいつか飽きられることを?
あの女(ひと)は いつまでも
電話につきあってくれて
あたしは 別に話すことなんかない
声をきいてみたかっただけよ
どんな声があいつは好きなの
どんな話し方があいつは好きなの・・・
私 電話をかけました
「あいつがやけにあなたの絵をほめるのよ」
「あたしも あの絵 好きだな」
「それにね あのモデル 実はあたしの彼に・・・
そう 彼に ちょっと似ててね・・・」
・・・ウソばっかり
・・・誘いをかけてるだけよ
あいつの話が出ないかと思って
「明日どうするの」だって
そんなこと 知ったことじゃないわよね
どうしてそんなに答えるの?
わかっているのよあたし
わかっているのよあたし
ほんとは
「そこにいる あいつを 電話にだして」って
言いたいのよ
・・・あの女(ひと)が最後まで しらを切ったのは
最大限の 私への思いやり
わかってる あたし わかってるあの女(ひと)
わかってるのにわかってるのに
うらやましくてうらやましくて・・・
・・・つきあってくれてありがとう
でも今夜は 私 泣くと思います
うらやましくて
やっぱり
うらやましくて
うらやましくて
うらやましくて
今夜は 泣くと思います・・・
【続いて間髪入れずに『怜子』】
〽️怜子 いい女になったね
惚れられると女は本当に変わるんだね
怜子 ひとりで街も歩けない
自信のない女だった おまえが嘘のよう
ひとの不幸を祈るようにだけは
なりたくないと願ってきたが
今夜 おまえの幸せぶりが
風に追われる私の胸に痛すぎる
怜子 みちがえるようになって
あいつにでも本気で
惚れることがあるんだね
怜子 あいつは誰と居ても
淋しそうな男だった
おまえとならば合うんだね
ひとの不幸を祈るようにだけは
なりたくないと願ってきたが
今夜 おまえの幸せぶりが
風に追われる私の胸に痛すぎる
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『愛していると云ってくれ』という 中島みゆきさんの4枚目のアルバムは、冒頭から聴くものの笑顔を奪い去る。そもそも私は 彼女の歌については、デビューシングルである『アザミ嬢のララバイ』以降、発売されたアルバムは全て所有するほど大好きだった。
恐ろしいほどの女の情念が衝撃的な朗読に続いて、イントロなしで『怜子』が始まる圧巻の構成に、高校生だった私は『ヒェ~!!』と震え上がったものだ。
世の中がバブルに向けまっしぐらの80年代、日本中が浮かれていた感じだった。国民全体が明るく笑顔でなければならないような空気があったから、この頃若者たちの間では『暗い』モノを笑い飛ばすことが流行りでもあった。何かにつけて『暗い 暗い』と言って、真面目なこと、静かなこと、伝統的な文化までもが 一律に否定的な烙印を押された。『ネクラ(根が暗い)』なる言葉が流行したのもこの頃だ。今では考えられないが 卓球は『暗い』スポーツの代表だったし、男性歌手ではさだまさしさんなんかも『暗い』歌手だとやり玉にあがっていたことを覚えている(彼の歌が暗いということは決してなく、ご本人は不本意だったろうと思う)。
そんな風潮の中にあって、中島みゆきさんの歌は間違いなく最上級に『暗い』位置づけであった。しみじみと淋しくため息が良く似合う。だからワンワン大泣きする種類の悲しさではない。
『暗さ』を歌で表現しようとする時の王道テーマは『貧乏』であるが、彼女の歌はそれとは明らかに一線を画し、山崎ハコさんと並んで『怨念』が高じて『死』をも連想させるものだ。同時代に活躍したユーミンのように、朝陽の中で微笑みながらチャイニーズスープを作り、青春の後ろ姿を見ている人とは別世界の立ち位置だったのである。