美容文化論 ー舞妓さんー
たまに京都に行くと京都の人は『京都』を強力に推してくる。京都のセンス、京都の方針、いわば京都の価値観の全てを、一分も譲ることなく訪れる者に押し付ける訳だ。仮に訪問者が『え? これってなんか変じゃないの?』なんてことを言ったとしても絶対聞き入れない。『ウチとこは何百年も前からこれどす』で終わりだ。狭い小道や曲がりにくい角(『いけず石』が置かれていたりする)によく表れているが、きっと京都の人は自分たちが住む街の伝統は好きで誇りに感じているんだろうが、他の地の人や文化は嫌いだ(笑) だから他人には厳しい。
しかし京都の京都たる象徴は、その他の多くの名物や名所を抑えてやはり舞妓さんなんじゃないだろうか。私のように寺社や仏像が好きな者にとっては興味の満漢全席みたいな京都の街ではあるが、一般にはそれより舞妓さんの方が何倍も広報力がある。
京都の街を歩くと時折舞妓の姿形をした女性が歩いているのを見かけるが、舞妓体験の観光客もかなり多いから、被写体にする類のものではなかったりもする。こんな風に観光客が『舞妓体験』をするのもいいとは思うが、本物の舞妓さんは十代の少女である。
舞妓を目指す人は、『置屋』(舞妓・芸妓の所属事務所)で住み込みながら『仕込み』と呼ばれる1年ほどの下働き期間を過ごした後、ようやくお座敷に派遣される芸妓にくっついてお客の前に出ることを許される。慣らし保育ならぬ『慣らしお座敷』ですね。その際 舞妓見習いは『半だらり(舞妓が締めるだらりの帯の半分の長さ)』の帯を締める。
置屋の女将や組合から許しが出れば、晴れて舞妓として『見世出し』が可能となる。しかし舞妓そのものが芸妓になるための研修期間であり、ここからが本当の修行だともいえる。画像の舞妓は見たところ(下唇だけの紅やおこぼの鼻緒など)、『見世出し』デビュー以後まだ1〜2年であることがわかる。
芸妓が鬘(カツラ)を付けるのに対し、舞妓は自髪で決まった髪型を結う。上の画像のような経験浅の舞妓さんは『割れしのぶ』という髪型を結うが、お姉さん舞妓になると『おふく』に変えるのが決まりである。舞妓としての期間は見世出しから5年程度。艶やかな見た目とは裏腹に神経をすり減らすその月日を過ごし、いよいよ『襟替え』で芸妓に昇格するわけだが、ここで初めて『島田』のカツラになる(本稿見出し画像の後列に立つ芸妓のお二人)。芸妓になる直前の僅かな期間のみ『先笄(さっこう)』(前述)を結い、お歯黒を付けるのが古くからのしきたりである。
歩くと音が鳴る『おこぼ(新米の舞妓には内側に鈴が付けられる)』の下駄にだらりの帯、という派手な格好もあるせいで、タレント性が高い舞妓さんだが(映画にもしばしばテーマになっていたり登場したりする)、襟替えして芸妓になる時期は20歳前後である。我が校の生徒たちの同年代なんだと思うと、きっと年上の人や目上の人に対する振る舞いなど、社会への順応力には雲泥の差があるんだろうなぁと、複雑な気持ちになる。