アケビの実が割れる頃
つい先日出かけた先で ひょんなことからアケビ(木通)を手に入れた(実物:テーマ画像)。歓声をあげながら 少し口が割れて開いた果実に触れている内に、私の心は10歳の頃に戻っていた。予期せずこんなものに触れてしまうとノスタルジック・スイッチ(笑)が入り、懐かしくて他のことには注意が向かなくなる。
白黒テレビが年寄りの家にしかなくなりつつあった頃、私たちは竹竿に釘を打った特性のアケビ取り器を手に、この時期毎日のように山に入った。『ヒラクッのおってんあっぱかっぞ(マムシがいるから怖いよ)』と オババは子供たちだけで山に入ることに心配顔だったが、マムシは掴んだり尻尾を踏んづけない限り 自分から咬んでくることはほぼないことを知っていたから、年寄のそんな声には耳を貸さず 私たちは山でも海でも 自分たちの活動域を広げていく日々だった。
思えばアケビという果実は種の周りに申し訳程度にゼリー状の果肉はあるものの、可食部はごく僅かだ。それでも子供の頃はみな、これを見つけると口に含んでプププッと種だけ吐き出しては『美味かぁ!』『甘かぁ!』と頬をゆるめたものだ。アケビの近縁種にはムベ(郁子)というヤツがあるのだが(私たちは『ンベ』と呼んだ)、こっちはアケビのような流線形ではなく、男爵イモのようにゴツゴツで丸っこく 口が開かない。そのことが 言葉を発する必要がないという意味に転じ『むべなるかな』の語源になったということらしいのだが、この言葉自体あまり聞かなくなって久しい。
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敬愛する林檎(椎名林檎)姐さんの初期の歌に、『りんごのうた』という私の大好きな楽曲がある。この歌を取り上げる理由は、歌詞中にアケビの実のことが歌われているという繋がりだけだから大変恐縮なのだが、これまた大尊敬している長谷川きよしさん(この方は盲目の天才である)のギターによる妙なるしらべを紹介したい。
昨今美しい人は多いが麗しい人は少ない、とはかの美輪明宏さんの言であると記憶しているが、椎名林檎という方はまさに麗しい、否『うるはし』という表現がしっくりくる、数少ない麗人なのだと私は思っている。と少々強引に自分の推しを紹介することをお許しくださいませ。
この世には一度口に入れたものを出すことや、麺類であっても啜って食べるのはマナー違反であるということが文化になっている(その価値に支配されている)国がある。しかしそんなことを尻目に私は今回手に入れた件の実を口に含み、昔のように種をプププッと出しながら食した。この果実はそのように味わうしか方法がない。よってこのアケビというもの、果実のままでは 間違ってもフレンチのデザートにはならんだろう(笑)