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昭和歌謡は怖い 5
《織江の唄》
山崎ハコ
1981年 1月10日 キャニオンレコード
映画『青春の門』主題歌。この作品、小説としては『第一部筑豊篇』から始まって、続編がどれくらいあったのかがわからなくなってしまう程の巨大シリーズである。この歌の中の一人称『うち』である織江は、映画の中でも重要な役どころであり、これまで大竹しのぶさんや杉田かおるさん、TVドラマでは秋吉久美子さんなどが演じた。また歌を歌うのは 作曲者である山崎ハコさんの他、松坂慶子さんのバージョンもあって、全く違う感じに聞こえるのだが それはそれでとてもいい。
炭鉱町である筑豊(福岡県)で生まれた主人公の伊吹信介の幼馴染である織江は、中学卒業と同時に家を出て夜の街で働く運命だった。見ず知らずの男どもの慰みものになる前に、淡い恋心を抱いていた幼なじみの信介に、最後に会って男女の契りを交わしたいと願う織江。
炭鉱の街の隆盛と凋落を取り扱った作品は数々あれど、必ず出てくるのが落盤や炭塵爆発などの事故だ。もし『閉塞感』という感情を、知らない人に数分間で伝えないといけないとしたら、この歌以上に教材となるものはなかなかないだろう。
この歌を『怖い』と表現するのは無理があるかもしれないが、歌そのものよりこんな時代が確かにあったこと、またそれ以上にそれを知る人もほとんどいない現実を『怖い』と思ってしまう私は、ひねくれ過ぎなのだろうか。
〽遠賀川(おんががわ)
土手の向こうにボタ山の ※1
三つ並んで見えとらす
信ちゃん 信介しゃん
うちは あんたに逢いとうて
カラス峠ば越えて来た ※2
そやけん 逢うてくれんね
信介しゃん
すぐに田川に帰るけん ※3
織江も大人になりました
月見草 いいえそげんな花じゃなか
あれは セイタカアワダチ草
信ちゃん信介しゃん
うちは一人になりました
明日(あす)は小倉の夜の蝶 ※7
そやけん抱いてくれんね
信介しゃん
どうせ汚れてしまうけん
織江も人になりました
香春岳(かわらだけ)
バスの窓から中学の
屋根も涙でぼやけとる ※4
信ちゃん 信介しゃん
うちはあんたが好きやった
ばってんお金にゃ 勝てんもん ※5
そやけん 手紙くれんね ※6
信介しゃん
いつかどこかで逢えるけん
織江も大人になりました
※1『ボタ山』
採掘した後、石炭としては使用できない
捨て石。長年一か所に捨て続けるとそれは
やがて山になる。田川には大きなボタ山が
3つ並んでいた。今では山肌は緑に覆われ
ている。
※2『カラス峠ば越えて来た』
田川に住む織江が 幼馴染である信介のいる
飯塚に会いに行くには、カラス峠(烏尾峠)
を越えなければならない。
田川市中心部から飯塚駅までは直線距離で
10㎞ 以上あることから、実際歩いた距離は
山道を含み15㎞以上であったと推察できる。
※3『すぐに田川に帰るけん』
2歳下の織江だけが一方的に信介のことを
好きだったのだろうか。少なくとも信介は
織江に熱い恋心は抱いていなかったようだ。
※4『中学の屋根も涙でぼやけとる』
中学を卒業したら すぐ夜の街で働くことが
決まっている運命。それは口減らしの意味
でもあり、当然好んで行くわけではない。
※5『ばってんお金にゃ 勝てんもん』
そういうことである。無念だったろうなぁ。
今なら奨学金やあしなが育英会なんてのも
あるんだけど・・・。
※6『手紙くれんね』
令和の今では小倉と飯塚なら大した距離では
ないけれど、当時の世の中や置かれた立場を
考えると、しばしば会うなんていうことなど
できなかったんだろう。
しかし、手紙ねぇ・・・。
※7『明日は小倉の夜の蝶』
作品中で 信介が会いに行った時の描写では
キャバレーに勤める織江。田川の街を出た頃
とは打って変わり、客とすぐ寝るような女に
なっていた。
山崎ハコさんの独特のやるせない歌声が悲しく、明治・大正・昭和と続く炭鉱町の独得の文化や そこに住まう人たちの心の中は理解できないものの、時代の理不尽の前に いつも泣きそうになってしまう歌だ。