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Photo by
inoueshinsuke
育った環境
腹が立った時
自分の考えが通らなかった時
上手くいかなかった時
酒を飲んだ時
運転している時
窮地に追い込まれた時
落ち込んだ時
自分がクライアントの時
公共の施設にいる時
誰かに迷惑をかけられた時
自分が誰かに迷惑をかけた時
誰かのせいで上手くいかなかった時
自分のせいで上手くいかなかった時
原因が誰かにある時
原因が自分にある時
上司に対して
部下や後輩に対して
店員に対して
自分とは反対の意見がある人に対して
権力者に対して
警官や自衛隊員に対して
教師や指導者に対して
努力している人に対して
自分より劣っていると思う人に対して
もう二度と会わないであろう人に対して
不義理をしてしまった人に対して
自分の生活には関係ない人に対して
金を前にして
親に対して
家族に対して
これらそれぞれの場面でどんな態度を取るかは、それまでに育った環境で決まるのだと思う。差別だと思われるかもしれないが、綺麗事を排除したら純粋に「育ちの問題」としか思えない事例に何度か接した。人に対して「根は良い人」とか「本当は優しい人」のような評価があるが、どうしようもない根っからのクズはやっぱりいるし、腐り切っているとしかいいようのない人間も厳然と存在すると思うのだが、間違っているだろうか?