入学式
2024年4月8日は 本校美容科の入学式だった。今年も多くの若者を迎え入れることができ、嬉しい限りである。さてかく言う私が美容学校に入学したのは1980年、今から44年も前のことだ。
美容師という仕事の社会的地位は今よりずっと低く(今でも高くはなく歯がゆい思いはあるが)、雇用側のサロンオーナーも、ていねいに人材を育てる という考え方ではなく、新陳代謝が激しい使い捨ての部品としてしか見ていない人が多かった気がする。
しかしそんなことになっている理由は美容師自身にもある。ビジョンも目標も持たずに カッコいいからとかお洒落だからといった、単純かつ刹那的な生き方をしている美容師ばかりが 大阪ミナミの民であった私の周りには目立った。だから美容業界に新人を供給する学校の役割は、業界に長く勤続し続ける人材の選別を受けるために、量産型の丁稚を多数納品することだったのだ というのでは人間味が無さ過ぎるだろうか。
その時代の美容学校には、いわゆる中学や高校を卒業したとしても行き場がない者の受け皿としての側面があった。だから不良やヤンキーの巣窟でもあったのである。学校の品位などというものは期待できるはずもなく、クラスメイトたちの話題は、暴走行為の情報(時に走る側である)やケンカ、盛り場での出来事なんかが多かったし、しばしばシンナー臭い奴までいた。校内ではその手の一群が確固たる市民権を得ていたから、授業中教員に反抗し 机を蹴って教室を出ていくなんてことも起きた。
当然ながら中途退学数たるや、入学者の1/4を 優に超えていたように思う。学校側も一定の退学数を見越していたから、ギューギューの教室内は、入学当初は机の数より生徒数の方が多かった。だから椅子だけしかない生徒も存在した。しかし一方とんでもない欠席数だから、『◯◯君、今日は前から3番目が空いてるからそこに座りなさい』みたいなことがしばらく続き、学校の思惑通り GW前後には在籍者数の減少によって全員に椅子と机があてがわれるようになっていた。
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さて令和6年度の我が校の入学式は、ホテルのバンケットを会場に、企画会社のプロデュースによって台本とマニュアルが制定され、去る4月8日に執り行われた。会場内の入学生の中にはヤンキーもいなければ、シンナーの臭いもしない。そもそも行くところが無いからそこに集まったのではなく、希望と意志を持っている若者がほとんどだ。
入学生徒数の2/3を超えた今年の保護者数にもブッたまげたが(少なくとも我々の頃には18, 9にもなった我が子の入学式を見に行く親などほぼいなかった)、式辞を贈るために舞台の上から客席を見渡すと、小ぎれいな物を身に着けておとなしく座っている入学生たちの顔が見えた。私は現代の若者を見ながら、あの時代のどうしようもないヤツらがこの中にいたらどんな感じだろう? と想像してみた。
40年の時間の流れを感じながら舞台を降り 自席に戻ると、10代のままの彼らの顔が次から次に思い出され、きっと今の生徒の方がお行儀もいいし扱いやすいんだろうことは間違いないけど、今と違ってあの頃はスリリングで楽しかったなぁと 一人私は苦笑していた。