もう一度修学旅行
先月 妻、息子と広島に行った。前回の鹿児島に続いて今回も旅行を発案したのは息子だった。彼が一番訪れたかったのは呉にある大和ミュージアムである。今や我が息子の 先の大戦・大東亜戦争における興味と好奇心は、きっかけを作った私以上に深くなっており、もはやオタクレベルまで達したように思われる。見たい 知りたいと ぐいぐい積極的に私たち夫婦を伴って各地に出かけたがっている現状においては、今も残る軍事施設や先の大戦の遺跡で 現実に訪れることのできる場所をと考えると、修学旅行以来となる広島行きは当然の申し出だったのかもしれない。
私自身も父が長崎における被爆者でもあり(原爆投下の翌日に爆心地を訪れているため一号被爆者である)、子供の頃から戦史や当時の日本人の暮らしには興味があったせいで、息子が申し出たその計画には私も大いに魅力を感じたから、二つ返事で同意し急速に旅行計画は具体化した。またせっかく行くのだから一泊して厳島神社や平和公園にも足を伸ばそうという計画が短時間で出来上がったのだった。
呉は街自体は静かなところで、賑やかな歓楽街がある訳でもない。しかし昔この街に我が国の命運がかかった時期が確かにあった。軍港だった呉は、我が国を代表する悲劇の戦艦である『大和』を生み出した港町だ。今の人々は特攻といえば、神風特別攻撃隊と呼ばれる零戦(戦闘機)の決死の攻撃ばかりが有名だが、大和は沖縄に向け海上特攻として護衛の航空機無しで沖縄に向かったことを思うとなんとも切なくなる。この沖縄行きは、その時点で既に沈没していた同型艦の『武蔵』や、同じく『信濃』(空母に改造)を失った後、もはや勝つ見込みのない断末魔の叫びのような片道の出撃だったのである。
宇宙戦艦ヤマトは、先日惜しまれて亡くなった、故松本零士氏の名作であり、もし私があのアニメに描かれたヤマトの乗組員だったらスリリングで楽しそうだなぁと思ったものだ。でももしタイムリープして先の大戦において、日本が無条件降伏をする4ヶ月前、昭和20年の4月に 徳山湾沖の錨地より出撃する戦艦大和に自分が乗り込むことになったら・・・、いやいやこんなジジィにはそんな役目が回ってくる訳ないかと1人苦笑したのだが、ふと我が息子を送り出すことになったら・・・と考えてしまい、朝から通勤電車の中で涙を滲ませている謎の男になったのは今朝の出来事である。