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座席、ここが変だよ譲り譲られ

 公共の交通機関にはお年寄りや体の不自由な方への優先座席が設けられている。本来そんなものはいらないのかもしれないが、実際あの席を必要としている人の中でも、一見そうだとはわからない場合も少なくない。誰あろう私の妻もその一人だが、ヘルプマークというものを知った当初から何度か嫌な顔もされ、気を遣い遣わせることから、今では極力電車には乗らないようにしている。まぁ健常者にはわかってもらいにくいことかもしれない。
 さて今回は私の思う、座席についての譲り譲られる人間模様を紹介したい。

《寝たフリをする冷血人間》
 寝たふり。それは嘘。それは偽り。そしてそれは「自分は前に立つ人に気づかなかったんですよー」という、周囲に対する言い訳。セコいヤツ、ずるいヤツ。席を立つのは相手のためだけど、寝たふりするのは自分のためだ。相手を気遣う気持ちよりも、自分が恥ずかしいと思う気持ちや楽チンだから座っていたい気持ちの方が上回るという冷酷な人だ。ただ、健康な人でも本当にしんどい時もある。あくまでしんどくもないのに、眠たくもないのに、寝たフリをする人のことです。

《子供に席を譲る異様さ》
 子供とお母さんが電車に乗り込んでくると、子供に席を譲ろうとする(少なくとも『譲るのが普通』だと思っている)女性は少なくない。女性と限定したのは、男性で、子供は座らせてあげないと可哀想だと判断する人は滅多に見かけないからだ。そこに必要性があるなどとは思っていない。当然男性である私もあれはおかしいと思う。子供がまだ一歳前後ならわからなくもないが、走り回っているガキなのである。疲れているのは親の方だ。だから席を親に譲るのなら私は大賛成だ。
 昔、私が乗っている電車におばあさんと孫(とおぼしき男の子)が乗り込んできた。私は座っていたのだが、前に立ったおばあさんにどうぞ、と言って席を譲ったことがある。するとこのばあちゃん、自分ではなく連れているガキを座らせたのである。私は唖然としたが、今更「イヤイヤ、ガキが座るのなら私は席なんて譲りゃしませんよ!」などと言えるわけもない。ガキに席を譲るなど、一番やりたくないことを結果としてやってしまい、その日一日気分が悪かった思い出だ。
 ウチの下の子供がまだ小さかった時のこと。私と2人で電車に乗ったことがあった。同じ車両には我々のような子供連れも数組いたのだが、ある駅に着いた時、座っている何人かが降りようとしたために席が空いた。例によって子供を座らせる親(笑)。それを見たウチの子がこう言った。「俺も座りたい」と。すかさず私は「子供は立ってるもんや!」と周りに聞こえるように言ったもんだから、車両全体から冷ややかな視線を浴びせられたという話。私もまだまだ若かったからね。嫌味な男だったこと(笑)

《譲られなくてキレる不遜な勘違い》
 障害を持っていることを『他の人よりエラい』と思っている人がいる。しかしそう思っているのは障害者本人ではなく、その周囲の人たちであることも多い。いわゆる従軍慰安婦問題も、LGBT問題も、周囲の方がうるさい(笑) 沖縄の基地問題など、隣人というより本土から出張して来ている活動家が最もうるさいのはなぜだ? 私の知り合いの沖縄県人いわく、基地の近所では基地があることで生活が成り立っている人も多い。活動家の主張通り、直ちにアメリカ軍が本当に沖縄から撤退したら、生活が立ち行かなくなる人も多いのである。であるのに彼らは一体何をしてるのか? 誰のために彼らは戦っているのだろうか?
 次にこれまた私が経験した「障害を盾に偉そうに振る舞う」ばあさんを紹介する。先程の経験談と同じく、電車内での話である。ばあさんは夫とおばしき少々よろよろした老人を後ろに連れて電車に乗り込んできた。2人がつり革につかまり、電車が動き出してしばらくしてからだろうか、前に座るOL風の女性が席を譲ろうとした時、突然ばあさんが喚きだしたのである。「あんた、今しゃーなしに席替わろうとしたやろ?そんなんされても嬉しないねん!替わる気があるんやったらすぐ替わりぃや!」と。そして大声で文句を言いながらも結局その席には座ったのであった!ホント、迷惑な上からババァだ(笑) 上にいる訳でもエラい訳でもないのに。

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