生徒たちの恋愛事情
最近の若者における『◯◯離れ』がよく話題にされる。酒、タバコ、車、ギャンブル・・・。私たちの世代にとっては、これらのことが大人である証明だったし、喉から手が出る程それらが欲しかったものでもある。手取り10万の給料の内7万を車に注ぎ込もうとするバカも居たりして、みんなでカンパしたりメシを食わせたりということも覚えているが、それはそれで輝くような楽しい思い出である。私たちは皆、人生全てが あれが欲しいこれもやりたいと、ギラギラしていた。
そんなことを振り返りながら、自分の勤め先である学校に通う生徒を見てしみじみ思う。10万の給料の内7万を車に注ぎ込む類いのヤツは、きっと居ないだろうなぁと。それはそれで破綻もなく無難なのかもしれないけど、そんな考えが人生の全てに波及してるように見えるから、なんと面白味の無い生き方なのだろうとも感じる。最近特にそんな生徒が多くなってきてなんだか寂しい。
ただし私見ながら、これら破綻のない、また面白味もない若者は『現代』『都心部』の2つの条件が重なった時に最も生息数が多くなる。だから車やギャンブルなどの各項目に興味を持つ若者は 今っぽくないし都会っぽくないのかもしれない。逆にいえば要するに今でも田舎に行けばそんな若者たちにも会えるのである。ギラギラ系の若者は都心を離れなければ視認できないと感じる。
本日のお題は、恋愛における姿勢についてである。令和の今 異性との交際経験のない男性の割合は、20代で約40パーセント程度だと言われている。きっと前述の理論に従い、この数字は地方の方が低いのではないかと思う。なんとなれば、単純に都心部に比較して田舎の男は女性を求め、積極的にアプローチをかけるからだ。
都会の男は異性との恋愛を必要としていないようにも感じる。恋愛に固執する必要もないし金もないので、そこにギラギラ感がない。恋愛などコスパとしては最悪だし時間の融通がきかない点で、女性より趣味や推し活の方が選ばれているのかもしれない。コミュ力に乏しいタイプが多いから、相手に気を遣う恋愛というものはメリットよりもデメリットの方が大きいのだと思う。だからよっぽど交際スタート時にハードルが低く、しかも交際が始まってからも自分が気を遣わないで済む女性としか恋愛そのものが成り立たないのかなぁなどと邪推したりする。
しかし面白いことに女子には時代による変化を男ほど感じない。昔から変わらず女子というものは、いつも『見られる自分』を意識しているし、ひとたびある男に恋をすると、女性ホルモンであるエストロゲンがバンバン大量分泌され、自分でも制御できなくなるパターンが少なくない(あいみょんの『貴方解剖純愛歌 ~死ね~』 参照)。
そう考えると恋愛スタートのカギを握るのは男サイドのアプローチだけのようにも思う。いつも待っている女子にガンガンアタックをすれば、やがてエストロゲンの分泌につながることは科学的に証明されているのだが(さらに決定的に嫌われることもあるところが怖いところなのだが)、残念ながら冒頭に述べたように最近の男には欲がない。だからアタックを待っている女性の理想とは程遠い状況になっているんじゃないのかなぁ・・・と、ほんの10年や15年前の若者とは全く違う感じに見える今の生徒たちの姿を見ながら、『変わったなぁ』と呟き、自分が老いに向かって確実に変わっているであろうことなど、どこ吹く風の私なのであった。