今さらながら刺身を語ろう 8
《エイ》
シブい酒のアテの代表であるエイヒレでおなじみのエイ。何年か前 千葉の海岸で大発生したというニュースが世間を騒がせたことがあったが、浜辺でエイを見かけるのは それほど珍しいことではない。
彼らを見かけた時に気をつけないといけないところは、強烈な毒針を持っている種が多いことだ。海水浴客がエイを踏んづけてしまうと(平たい魚体は 砂に半分埋まっているから存在に気付きにくい)、攻撃されたのだとパニックになったヤツラは、しっぽをメチャクチャに振り回し、装備されている毒針を敵に突き刺そうとする。
毒針は鋭い刃物でもあるから、磯遊びに履くマリンシューズなんかはおろか、ゴム製の長靴くらいなら簡単に切り裂かれてしまう。そして刺す力は、手のひらやふくらはぎなら貫通してしまうほどの破壊力を持っているのだ。私は幸運にも彼らのキツい一撃は受けたことがないが、父は若い日に 全く望んでいない洗礼を受けた。毒針が深く刺さった父の手のひらは、痛みとしびれがなかなか引かず、さらに発熱してしばらくの間苦しんだらしい。刺さった針は 舟に積んであったペンチで 漁師仲間に引き抜いてもらったという。
『針』と聞けばなんとなく細いものを想像しがちだが、彼らの針は側面がナイフになった 太い目打ち(千枚通し)だといえるだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
我が五島列島各地でもエイはしばしばお目にかかるが、私が体験した ある夜の経験について話をしたい。
ウナギを獲りにいったその夜は、いつもの漁場に肝心のウナギがあまりいなかったことから、少し遠いところまで行ってみようということになった。ちなみにウナギを獲るために海の上を移動する際は、スクリューによって進むのではない。(この辺りか?)と予測したらエンジンは切ってしまい、ベネツィアのゴンドラのように(というより時代劇の渡し舟のようにw)、手に持った 櫂ならぬ竹竿で海底を突きながら進む。そうしないとエンジン音でウナギが逃げてしまうからだ。
音を立てないように 懐中電灯で海中を照らしながら、獲物を求める私たちの舟。『こんあたーもそがんにやおらんごちゃーねー(この辺も多くはいないみたいだねー)』と叔父が呟いた次の瞬間、突然派手な水の音とともに転覆しそうになるくらい舟が揺れた。驚く私たちに水しぶきをかけながら海面を跳ねていく黒い座布団のような物体。あっけにとられて身の安全を確認して改めて明かりをかざすと、水深1.5メートルほどの海底に 楕円形をした黒いものが、いくつも貼り付いている。今我々の前を逃げていった座布団の正体か!? 試しにそのうちの一つを竹竿でこづいてみる。するとやはり海面を闇と静寂をつんざくように、派手な水音を立ててそいつは逃げていった。
『エイタンのおっぞ!(エイがいるぞ!)』 叔父の上ずった声。
我々は色めき立った。こうなると皆 狩猟本能がムクムク湧き上がってくる。しかしその日我々が持っていたのは、ウナギ用の貧弱なヤスが数本だけだ。こんなものでエイのように力のある獲物を突いても先端を支える部分はもたない。しかし家に戻って頑丈な道具を作って再度出直すには時間も遅い。今夜は現存の道具を使って1匹でも獲れれば良しとしようということになった。
一番手を申し出た私が 海底の楕円の座布団めがけて垂直にヤスを突き刺した。次の瞬間 何かが爆発したように、派手に水しぶきをあげてエイが海面を跳ねながら必死に逃げようとする。ヤツの後ろ姿を睨み、びしょ濡れになって逃がすものかとヤスの持ち手側の端を握りしめる私。暗闇の中でエイの進もうとする向きに、右へ左へと引っ張り回されている舟!
ダメだ。ヤスと竹との接合部分がグニャグニャに折れ、もはや道具の元の形は見る影もなくなっていた。そしてとうとう金具ごとエイに持っていかれてしまった。
次は叔父が担当した。その一突きも私の時と同様に接合部は折られたが、数分間にわたる格闘の末、金具部分は2本の針金だけで繋がったまま外れてしまうことなく、なんとか獲物を舟に引き上げることが出来た。
しっぽの毒針は小さく 危険度は低いと思われたが、念のため動かないように押さえつけて切り取った。
一連の格闘の末、我々には1匹のエイと使えなくなった漁具が残った。武器を失ったことで策がなくなった 不完全燃焼の私たちは、明日の夜の再出撃を期してその日は帰ることにしたのだった。
縦より横の幅が長い独特の体型。もちろんその時にはわかるはずもなかったが、時期や場所、その他の性質から判別するに、 現在国際自然保護連合のレッド・リストで絶滅危惧種中の『危急』に指定されている、『ツバクロエイ』であることは間違いなかったようだ。
その日の獲物は満場一致で煮付けにしようということになったが、そこで兄がポツリと『刺身はダメか?』と言ったその言葉に皆が静かになった。
『食べらるっとやろか(食べられるんだろうか)・・・?』 フグのような毒はないだろうが、なにしろ経験がない。それでも半分は好奇心でワクワクしたエイの刺身は、身を触った感じから脂っこいのかと思いきや、すこぶる美味いのには全員が驚いた夏の夜だった。
エイはサメに近い種といえるから、きっと時間がたつとアンモニア臭がするのではないか? とも考えられるが、なにせ獲れたばかりだからそんなこともなかったのだろうと思われる。
翌日は朝から道具作りだった。ヤスでは接合部が弱いため、モリに変えようということになった。私はグラインダーでモリの先を尖らせる役を引き受けた。叔父2人は竹林で竹を切ってきた。頑丈な仕掛けを3本こしらえて、さぁ夜が待ち遠しい!
しかし・・・。昨日と同じ浜に行ってみて我々は顔を見合わせた。エイらしき姿は1匹も見えないのだ。全員で張り切って作った頑丈な道具は 出番を失った。後で思ったのだが、きっとヤツらは、一年に一度 数日だけの限定された時期に、産卵(胎生なので出産?)のために決まった浜に来る習性があり、昨夜がその産卵期間の最終日だったのではなかったか?
しかしいくら調べても、この仮説は裏付けが取れない。