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『型』にハマる

 成人の日改め『20歳の集い』を開催、そしてそこに礼装(?)を身につけようとする不思議。私個人としては、成人年齢は18歳なんだから、成人式は18歳の時にすべきだと思っている。成人になる時にするからこその成人式である。大学受験でやりにくい といった偏った意見もあると聞くが、それを言うなら我々のような専門学校や短大生なんかは卒業間近であり、資格取得や検定の時期に丸かぶりだったりするのである。本当にその理由で18歳での実施を避けているのなら、偉い方々が大好きな多様性とは反対方向じゃないのかしらん?

 しかし一方個人的には そもそも成人は20歳から18歳という若い方向に変更した事には反対だ。極端な話、逆に成人は30歳でいい。18歳で入学してくるウチの入学生たちを見ていると、子供たちが失敗しないように 大人があれやこれやと世話を焼いてチャレンジをさせてこなかったからだろう、一人では何もできないし決められない者がほとんどであるように感じる。

 さて その成人式が もはやフォーマルな式典ではなくなってから久しい(北九州や沖縄の様子を見るとわかりやすい)。しかし式典に格式があった頃のなごりで、女性の振袖だけは風習として残っている。『20歳の集い』になって、より格式がなくなったのだから、さらに式服を身に着ける必要も理由もなくなった。個人的にはこれをきっかけに『脱・エセフォーマル』運動を促進させ、いっそこれまでとは違う、お洒落で個性的なイベントにしたら、自治体の独創性なんかが出ていいのに と思っている。

 しかし日本人は『◯◯の時には▲▲をする』という『型』に我が身を当てはめて、『周りと同じ』という状態が好きなんだろうなぁとしみじみ思う。しかしそんな中でも 一見個性的でありたいと思われる若い世代ほど『周囲と一緒』に安心するという傾向が より顕著であることは面白いことだと思う。

●バレンタインにチョコレートを贈ったりホワイトデーにそのお返しをする
●クリスマスには恋人が2人で過ごす
●ハロウィンで(日本風)仮装をする
●結婚披露宴での一連の演出(お色直し、ファースト•バイト、出生時の体重と同じぬいぐるみ、新婦からの両親への手紙 等々)をする

 まだまだ他にもゴロゴロあるが、古くからのしきたりではなく、最近誰かが創作した『型』でさえ、はまりたがる私たち(新しいものはほぼ全てが企業の売上アップのために生まれたものだ)。そしてそんな『型』の一つに上記に述べた成人式の振袖がある。言ってしまえば、成人式には振袖を着なきゃいけない=当然そうするもの と思っている人は少なくないと思う。執念じみた思いさえ感じる時があり、レンタル衣装を仲介している我々が 驚いてしまうことも少なくない。

振袖(左)と袴(右)
振袖には以下の種類がある
小振袖(袖長 〜約80㎝程度)
中振袖(同 およそ90㎝〜程度)
大(本)振袖(1m以上)
画像は中振袖である

 さて我が校においては まもなく卒業式を迎えるのだが、当日女子生徒の95%以上は袴を身につけることが既にわかっている。当然本来なら『20歳のつどい』はフォーマルではないので自由な思いで参列し、卒業式にこそ振袖を着るべきなんだろうが、成人式の振袖同様 卒業式の袴も『型』でしかない。よって卒業生たちは主催者やその『場』というものに対して礼を尽くす気持ちではなく、卒業式=袴を着る というシステムによって『型』を着る。

 毎年壇上から卒業生を見る私は、軽いため息とともにそれでも幸多かれと祈り 言葉を贈る。

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