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他人を否定しない?

 ここ最近教育や人材育成、はたまたビジネスにおいても『他人を否定しない』っていうのが幅をきかせている。『お前の考えは間違っている』とか『私はあなたとは逆の考えだ』と言ってはいけないということなのかな? だとすれば私はこれに真っ向反対の意見を持っている。

 『私はAだと思います。なぜならBという事実があるからです』という主張に対し、『いや、私はその意見には反対です。なぜならCという最近の傾向を無視しているからです。この先はきっとDの方向に進んでいくと思いますのでAのような方法では上手くいくとは思えません』はダメだということなのだとすれば、そもそも議論ができない。『相互全肯定』のような、なんとなくイケてそうなそれらしい言葉もあるし、最近では『多様性』などと言って、とにかく色んな人の色んな考え方を認めましょうってなんだかよくわからない価値があったりするけど、それならば逆に『間違っていると思えば反対意見をはっきり言う』といった考え方も、その『多様性』とやらで認めてほしいものだ。討論やディベートなんかでは相手の欠点をついてナンボだし、野球のピッチャーは打者の弱点を突くではないか。我が国における国権の最高機関である国会では、敵対する主義を持つ相手の一点をつついて否定ばかりしているし、ネガティブキャンペーンなど日常的なことだ。しかしとにもかくにも 『なぜ否定してはいけないのか?』の論拠が、私には軟弱だと思えるのである。

 なぜ否定してはいけないのか? ・・・このことを調べてみても、否定的な捉え方をすると 否定された側にもその想いが伝わり円滑な関係ができないとか、否定されることで次の言葉を発信できなくなって雰囲気が悪くなるとかといったことが、あたかも正しい考え方のように発信されているのが現状である。しかしこれは受手側の気持ちや場の空気が何より重要であり、結局誰も嫌な思いをしない、させないことが最重要課題で第一目標になっているように思うのである。・・・で、その『会議』と称する解決しない、またスッキリした結論も出ない雑談をする目的は何なの? と皮肉の一つも出てしまう。

 問題は否定するということではない。もちろん人格を否定するような反対意見を言うヤツは論外だが、自分の主張を反対されてメゲるような弱さの方にこそ問題があるのではないかと私は思う。薄氷のようなハートの持ち主同士が、壊れやすい双方の対人能力を気遣って『お互いキツいことは言わないでおこうね。泣いちゃうもんねー』と言っているように私には思えてしまうのだが、対人関係やコミュニケーションの講師なんかは、私のような考え方の人間には何と答えてくれるのだろう。

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