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京都の懐

 関西以外の方には少々わかりにくいことかもしれないが、大阪にある学校や勤め先には、隣接している全ての県に加え、滋賀や三重、和歌山からも学生や勤め人が毎日通う。
 他でもない我が校も大阪にあるが故、お隣の京都から通ってくれている職員がいるのだが、その中の一人であるウチの主任は 世界的にも有名な嵐山に自宅がある。紅葉の季節である今、彼の自宅の周りには佃煮にする程の外国人が行き来しているという。毎年のことゆえ もうたくさんだと笑う彼は、休日のショッピングに京都の繁華街に出ることは可能な限り避けたいことだとも言う。通常私たちが普通に持っている、次の休みにデパートにでも行こうか? というようなお気軽な感覚を、中心部からやや外れた京都府民(特に行楽シーズンには)は持っていない。

 最近の状況を見ていると、11月の土日に京都に行こうなんざ、正気の沙汰ではないなぁと思う。モミジではなく人の頭を見に行くことになるし、人ごみの中にあっては民度の低い一群による違法行為や良識のない振る舞いにげんなりすることも多いからだ。彼らは平気で枝を折り(桜の季節にも同様のことが起きる)、笑いながら団体で車道を無理に横切り、ゴミや吸殻を撒き散らす。そんなどうにも手に負えない一部の無法者に 顔をしかめてしまうことも少なくない。

 さて観光地ということ以外にも、京都という街には大阪に住まう我々隣人であっても、不思議を感じる様々な側面を持っている。いくつか紹介してみたい。

1.平和・ゆっくりしている側面
 京都には京都時間が流れている。沖縄にも通ずる感覚なのかもしれないが、10時の約束は10時『前後』と変化することに加え、約束自体が固いものではないので、勘違いや忘れ物なんかがちょいちょいあるし、またあったとしても周囲がそれを受け入れている。そしてあくまでもユルい。セカセカしていないのはいいことなのかもしれないが、悪く言えばポーッとしている性格の人が多い気がする。

 ひと頃 まことしやかに アメリカ軍は文化財保護のために京都の中心部には爆弾を落とさなかった、などという流言が広まったこともあったが、何のことはない、原爆を落とす候補地だっただけだ。建物が壊れてしまっていては、原爆の威力を測れない。

 私の勝手な妄想だが、戦前からの古い建物が残っている京都の各街はヴェスパなんかでゆっくり走るのが似合うんだろうなぁと思っている。

ヴェスパ
2人乗りがいい。
可愛くてお洒落なんだけど 安くはない(笑)

2.マンガやオタク文化の側面
 1のせいだろうか マンガやアニメ・サブカルの発信源になることが多い京都。世界一『まんだらけ』が似合う街だと言い切れるのではないか。京都の街を歩いていると、そこそこいい年齢の人(失礼!)が、突飛な髪型で原色の洋服を身につけて店の奥から現れたりする。繁華街の中心部でもないところで想定外のことがあったりするから楽しい。そんな街だからこそサブカルチャーが育つ土壌となり得るのだろう。

 1000年以上続く寺院がある街なのに、若者オタク文化の象徴の一つであるフィギュアをカップリングさせる取り合わせには、一瞬 ウッとなるのだが、きっとそんな違和感さえエッセンスになってしまうところが、京都という街の懐の深さなのかもしれない。

京都市で行われたコスプレイベントのスナップ
ウチの生徒も交ざっているかもなぁ・・・

3.排他的・他所者を嘲笑する側面
 古いものといっても何10年単位というレベルではない。100年位では、京都では老舗の内に入らない。そして京都人はそんな京都にただならぬ愛着を持っている。特に店舗を構える人などは、今まであらゆることにおいて受け継がれてきた方法を決して変える気がないように感じる。仮に他所から来た誰かが非効率を指摘したとしても『ウチは昔からこれです』で終わりだ。きっと『イヤなら出ていけ』と言われるだけだろう。
 そんな京都人だから一部の老人などは、東京に行くことを『上京する』と表現することを拒んだりする。ウチが『京』なのにどうして? ということだ。
 大阪の都心から電車で40~50分も走ると京都の繁華街に出られる。相当近いといえるのだ。しかし営業の仕事で訪れた私に対し『いやぁ、遠いとこから来はって~』などと年配の京都人などは本気で言うのだ。彼らにとっては自身が住まう京都という都市は、独立した国のような感覚があるのだろうと思う。

創業1000年を超える京都の老舗
『あぶり餅』一文字屋和輔

4.最後に 値付けが高い側面
 京都は高い。なんであんなに高いのだろう。ウチの主任が住む嵐山なんかで、名物だという湯豆腐など食そうもんなら、安くて数千円、高けりゃ1万円を超えてくる。トーフにだぜ~!? 京都の観光地にいる人は ものの値段についての感覚がおかしくなってんのか?
 しかしそれでも訪れた多くの人が、その高価格の料理を有難がっている現実を、どうしても私は理解できない。きっとまだまだ還暦を過ぎたばかりで若すぎる私(笑)には、京都の懐の深さはわからないということなのだろう。


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