都会の民
海を見て『うわーきれい!水が透き通ってるぅ!』と叫んだりする都会の民に一言。海っていうのは水なんだよね?水っていうのは透き通っているもんだ。だから貴女は当たり前のことを叫んでる訳だ。飲む水が透き通っていることに対しては、別に透き通っているからって驚かんだろ?それと同じだよ・・・と、我が五島列島でも最近増えてきた、その辺りには似合わないキレイな洋服を着た若者たちに、地元の田舎モンとして皮肉の一つも言いたくなるわけだ(ちなみに本稿のテーマ画像は五島列島、中でも私の生家のある中通島の風景である)。
関西でも間もなく海開きなのかなぁ、しかし海開きって何なんだろう?と私などは思う。海に入ってもいいよ!って感じなのかな。私の生家の裏をちょっと行くといい感じの桟橋があって、小さい時から晩のおかずのアジなんかを釣って暮らしてたから、私にとっての海は年中開かれてた。
でもそんな身近な海だけど心底恐いダークサイドも持っている。海は不機嫌になると容赦なく暴れ、人さえ飲み込んでしまう。私の従兄弟も10歳の時にその身体を海に弄ばれ、まだ小さな命は天に召された。棺の前に横たわる血色の全く無いその顔を、私は一生忘れないだろう。海辺に暮らしている人たちの常識として、小さな子供が夜の海に近づこうものなら母親は大きな声をあげて怒る。この辺りの怖さを都会の人は知らない。
⚫︎離岸流
岸から離れていってしまう流れ。ダメなのは焦ってしまって岸方向へ直線的に泳いで戻ろうとすることだ。それでは絶対戻れない。あれ?おかしいな、戻ろうと思っているのに離れていってるぞ!と思った時には『岸と平行に横に泳いで、沖への流れがなくなったらはじめて岸に向かう』と、どの本やサイトにも書いてあるが、そんなことのできる余裕のある人はほぼいない。そもそも沖への流れが無くなったことは流されてる人はわからない。パニックになるのが一番怖いから、自分の状況を岸の人にわかってもらう努力をしながら、どこかにたどり着くというよりとにかく長く浮いていることに集中した方がいい。
⚫︎巻波
押し(寄せ)波と引き波があるのが波打ち際なのだが、怖いのは波が高い日に引き波(戻り流れ)に足を取られて転んでしまい、もみくちゃに転がったような状態で沖方向に引きずり込まれることだ。都会の民は波を、また水をナメてる。そのパワーは思っている何倍も強い。引きずり込まれた先で『プハーッ』みたいに立ちあがろうとした時、巻波によって海底がえぐれて急に深くなっていると、予想に反して海底に足が着なかったりする。息を吸うために一刻も早く水面から顔を出したいのに足が立たないから、水を飲んで大体の人はパニックになる。前述の従兄弟もコイツにやられた。遊泳禁止になってる浜辺では巻波やそれ以外にも何かがあるから『泳ぐな』と言っているのだ。意味なく規制している訳ではない。
田舎に住まう者でさえ自然の前では無力なのに、自然から離れた所にしか生活圏が無い人は、絶対的に怖さを知らないものだから、ひと度自然に触れられるエリアに足を踏み入れると、目に映る物が新鮮で仕方ない。山においてもそれは同じで、ある日たまたまミカン山にいた私たちの前に、誰かに教えてもらったのだろう、野イチゴがあると不用意に藪に入り毛虫や蛇が出たと大騒ぎしてる女の子たちが現れた。見ると一人の女の子の頬が、ウルシなのかハゼなのかで真っ赤になっているではないか。しかたなく私たちは作業を中断、叔父に連絡して病院まで送ってもらったこともある。
都会の民は自然の表面のきれいな部分しか見ていないことが多い。だからキャンプ場に行ったとしても自分達の生活圏でやっていることをそのままその場所でもやろうとする。自然の中にあって我が身だけはそんな自然の一部に組み込まない。電気は?水道は?みたいな話になって、さらにトイレは水洗?風呂やシャワーは? 果ては炊飯器で米を炊き、売店でお土産を買ってゴミを専用の回収場所に捨て、その代わりに『自然は良いね』などという全く不自然(笑)な思い出を持って帰る。いや、もはやそれが今の時代の当たり前ならば、またそれで地方が潤うなら仕方のないことだろうか。
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