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リビドー

 生物として私たちが存在している最も重要な理由は、種を途切れさせず、次の世代につなぐことであるといえば反論されるだろうか。長い人生における他のことはオマケなのだと思える。そう、我々生きとし生けるものの肉体は、父母から半分ずつもらってニコイチで形成された遺伝子の乗り物でしかない。遺伝子の側から見れば、私たちは命を繋いでくれさえすればいいのである。だからあらゆる作戦を繰り出して、男女が結びつくように仕向けている。ヤツら遺伝子は巧妙かつしたたかであり、何かの拍子に胸にズキュンとくるような仕掛けをしたり、可愛い!とかカッコいい! だから近づきたい!という思いを男女の生活の中に散りばめてくる。幸せか不幸かなど関係ない。

 生き物は皆『種を途切れさせないために生きている』ということのわかりやすい例として、羽化して数日でその生涯を終える虫たちの話を例にしよう。彼らは土の中でじっとその日を待っている。聞こえない声に操られ、自分の意志ではない時間を過ごすのだが、時にそれは数年にも及ぶ。やっと地上に出られたかと思えば直ちに交尾の相手を探し、ほんの僅かな甘い時を過ごすと、自分の子孫だけをこの世に残し、その命の灯火は消える。何という生涯だろう。いらぬ心配ながら地中の蝉の幼虫や蟻地獄たちに生きる喜びはあるのだろうか? 私の知る限り、種の存続のためだけの生というものがイヤになって『やーめた』と投げ出す個体はいない。

 さてくだんの昆虫と全く同様、高度な進化をとげたとされる我々ホモ・サピエンスとて例外ではなく、行動の源になっているのは結局『種の保存』だ。女性が可愛い洋服を着たり流行の髪型にしたいのも、痩せたいと思っていることも、また男性がカッコいい車や単車がほしいのも、悪ぶってタトゥーを入れたいのも、金持ちに見られたり出世したいのも、みんなみんな異性を惹きつけたいが為の本能と呼ばれる生殖行動に繋がっている。
 コヴィー博士やドラッカー氏、またカーネギー氏はビジネスに繋がる様々なことを我々に教えるが、そんな手法のことより、仮に人の内から湧き出る『◯◯したい』という欲求の力を、別の何かに昇華させることができるなら、何だってできるんだろうなと思う。

 女性というものを語る際にエストロゲンという性ホルモンが、逆に男性の時には同じくテストステロンが引き合いに出されるが、それも種の保存という大きな戦略の一部なのだと思う。それどころか、もしかしたらこの性ホルモンというものこそ、ヒト=ホモ・サピエンス という種が存続していくためには最も大切なものなのかもしれないとも思えるのだ。人の体つきを異性にとって魅力的に見えるように変え(またそれを魅力的だと認識させ)るばかりか、精神的な部分にも大きな影響を及ぼすのだから。嫉妬も浮気症も恋は盲目になるのもこれらの仕業によるとなれば、もはや我々の日常は完全に(遺伝子からの指示を受けた)内分泌に操られているといえる。よく女生徒が失恋後『なんであんなクズのことを好きだったんだろう?』という状態になるのを目にするが、ヤツらが人間の考え方や行動に対する支配力をゆるめたせいで、宿主たる女性が我に帰っただけだ。

 ヒトの悠久の歴史のごく一時に生きる私も、コイツらに操られて何十年かを生きてきた。幸い次の世代に遺伝子を繋ぐことはできたから、種の保存という意味では既にお役御免なのであろうが、はて人間はなぜこんなにも長い寿命を与えられているのだろうか? この問いに私は仮説を持っている。それは、不幸にして親が死んでしまった場合でも、その子が一人で生きていけるまで祖父母が親の代わりに育てるためだというもの。すなわち親が死ねば子も死ぬということを避けるために、ヒトという種を保存する方法として神が我々に与え給うた能力である『二世代養護保険説』というのはいかがだろうか?

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