生きる理由などいらないが、結婚する理由は必要だ。
国家試験のチャレンジを終え、卒業式を間近に控えた我が校の生徒たちに対し、私は毎年恋愛と結婚についてのマジ話をする。なんとなれば恋愛の扱いをこじらせて、大切な夢を捨てなければならなくなった卒業生を何人も見てきたからでもある。できればそんなことはさせたくない。もちろん押し付けがましくならないように、『私の話はこの後の人生の参考に。しかし取捨選択は自分でせよ』と、冒頭に断ってからだ。
30分程の時間を貰い、幸せとは何か? 人を好きになるとは? 好きだから結婚するのか? といった内容を至極真面目にアラ還の男が20歳そこそこの若者に説く。中でも望まない妊娠は避けてほしいという思いは強い。私は学校では昔からよくあるような、保健の先生なんかによる『愛が・・』とか『命の尊厳が・・』みたいな話では 望まない妊娠は防げないと思っている(我が校にも実際助産師にお越しいただき その手の話はしていただくのだが) 。
人の考え方や行動を変えようとすれば、心が動くことが絶対条件である。しかし20歳前後の若者に対して、ぬるいパステルカラー調の優しい話をしたところで、心が動いたり感動したりはしない。助産師さんの話を聞いている生徒たちの顔を見ても、『ああ、例の話か・・・』としか感じない域は出ない。
元オリンピック女子柔道金メダリストの松本薫さんがご結婚される際、記者会見でご自分やお相手の親についての思いを語られたことを思い出す。松本さんはその会見で『好きだから結婚するという考えが理解できない』と話された。好きな相手が認知症になったときに介護できるのか? 最期まで添い遂げられるのか? それらを全て受け入れる覚悟ができるまで結婚はできない、結婚とはそういうものだ、というのが松本選手のお考えだった。私はその会見を見て唸ったものだ。
結婚する最低条件は一つ。『相手を看取れるか』だと思っている。大好きだから、とか一緒にいて楽、とかフィーリングが合う ということもいいかもしれないが、それだけでは結婚する理由たり得ないはずだ。中でも子供ができたから、という事実が 結婚の条件として大手を振ってまかり通っているのはなぜだろう。子供ができたという理由だけで結婚するのは違うなぁと思う。相手のために生きることが自分の喜びにできることが結婚の理想だと思うからだ。
私の前に座っている多くの若者は、こんな初老の男が熱く語ることを、それでも今のところは真剣に聞いてくれている。