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人生の時計が止まる時
おかしなもので若い時分はそんなこと全く考えなかったのに、最近自分の最期の時に思いを巡らせることが少なくない。イヤイヤまだまだ死ぬ気などないのだが、ふと頭に様々なパターンが浮かんでくる。還暦を迎え、この後は自分と向き合い生涯をどう閉じるかが、最後で最大のテーマなのかと無意識に思っているのだろう。
子供も大きくなり仕事もするようになった。自分で稼いで生活できるようになるまでは親の責任として養育や監督の責任があるのは当たり前だと思っているが、その後は子供は子供だ。迷惑に思われもしないし有難がられもしないのがいい。子供のために何かを残す気など無いが、そもそも残すものも無い(笑)
『どうせ死ぬなら』というあいみょんの楽曲があるが、彼女は父と母に挟まれて二度寝をしてる間に死にたいらしい。なるほどあいみょんらしいなぁと思う。
さて、どうせ死ぬならか。理想のシチュエーションでも並べてみよう。
1.海が見える窓辺のベッドに真っ白のシーツ
2.静かに Bridge over troubled water なんかが流れている
3.部屋の中には贅沢な物は何もいらない
4.家族は誰も居なくて構わない
5.ベッドサイドにはつい1ヶ月前に見送って、お骨になってきれいな箱に入った妻がいる
6.その妻はきれいな写真立ての中で微笑みながら私を見守っている
自分の心内としては・・・
1.やり残したことはないし、心残りもない
2.誰に感謝されもせず、せいせいしたと思われることもない
3.静かに楽しかったことを思い出しながら永遠の眠りにつきたい
4.最期の瞬間には妻に『行くよコール』をテレパシーで送る
大部分の人は病気で痛みや苦しさと闘いながらの旅立ちだから、こんな風にはいかない可能性の方が圧倒的に高いんだろうなぁ。
でもこんな儚い願いの実現を阻む要因は、病気などによる体調悪化以外にもある。妻が『こんなのイヤだ。私の方が先に死ぬなんて勝手に決めないで!』と言うなら全くもってこんなタワゴトは水泡に帰す(笑)
・・・あっ、子供たちにお礼は言いたいから、やっぱり最期の時にはそばに居てもらう方がいいかな。