もし専門学校の校長が「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を読んだら
他の生徒とは別に特別なカリキュラムを消化する一部生徒たちに対する課題図書の候補を9冊挙げる指示をいただいた。その中の一冊として「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を選んだ。初めて出版された時には随分売れた本だしその時に一度斜め読みしたので、内容もなんとなく覚えてはいたのだけど、他の書籍同様、もう一度読むことにした。
本というのは本当に面白い。読んだ時の自分の状況によってまるで感じ方が違う。初めてこの本を読んだ時、私はタンパク質でできたただの物体だった。なんとなれば妻の精神疾患は壮烈な症状を呈しており、そのせいで余裕のない私の毎日は、金魚鉢の水面で口をパクパクさせている金魚にでも例えられようか。その時は何に対しても懐疑的かつ自分を卑下していて、良い話や努力している人に対しても「ケッ」と思って生きていた(笑) なにせ絶対的に毎日の睡眠時間が不足している。ひどい時は2,3時間の睡眠(しかもその短い間にも不眠に苦しむ妻に途中で起こされてしまうことがままある)が連続することも珍しくなかった。結局私は翌年退職することになるのだが、そんな状態だからたかだか10ページに何日もかけたり長らく続きを読めずにいたりで、あの薄っぺらい本を読破するのに最後は文字を目で追うだけのように読んでも、読了に結局1ヶ月ほどもかかった。今思えばあのようなヤル気や爽快感を刺激する本は、気持ちが前向きな時にしか読んではいけなかったと思う。作者の揚げ足ばかり取って、内容が入ってこないからである。
さてこの本については、かのドラッカーもまさか後年日本人によってこんなアレンジをされるとは思わなかっただろう。先日読み直した感想は、「これは使える!」だった。えらい変わりようである。
本の内容を参考に、我々学校運営を行う者の顧客とは誰かを改めて考えてみた。これをまず設定しなければ戦略など組める訳がない。案外自分の学校に入ってくれる高校生がお客様だと思っている学校関係者が全国的に多い気がするけど、それは多分違う。私が思うに我々がお客様だと思わないといけない対象は社会なのだろうと思う。そこを顧客として設定しないと、ただ高校生が好むだけの薄っぺらい学校になり、そこで働く教職員も相応の仕事にしかできない気がする。あくまでその生徒の将来を生き抜く力をつけてあげることが我々学校の社会的な役目で責任だ。この本はそれを再認識させてくれた。
売れる本にはやはり売れる根拠がある。