幸せな時間
日本の流行り歌は『愛』という言葉を抜きにすると成り立たないが、同様に『幸せ』も私たちが生きている中にあって 大安売りされていると感じる。『愛』や『幸せ』を Googleで調べてみても、なんだか薄っぺらく感じてしまって今ひとつ腑に落ちない。しかしそんな中にあって 唯一back number の名曲『瞬き』の歌い出しで綴られる『幸せ』の定義づけにだけは『そうだよなぁ』と、個人的にしっくりきている。
〽幸せとは
星が降る夜と眩しい朝が
繰り返すようなものじゃなく
大切な人に降りかかった
雨に傘をさせる事だ・・・(後略)
なんとも含蓄に富んだ歌詞だが、幸せというものは非日常のキラキラしたもの(旅行、プレゼント、記念日、サプライズ、結婚式 などなど)によって生み出されるものではないし、また自分を支えてくれる人がいるということではなく、逆に支えたい人がいることであると、作者である back number ボーカルの清水 依与吏さんは言いたかったのかなぁ なんて勝手に解釈している。
余談ながら back number のライブに行くと、依与吏さんはほぼ涙ぐみながら社会的に あるいは人間関係の上でうまく振る舞えないタイプの人たちに寄り添ったトークをされる。私の見える範囲にいる女性の多くがそれを聞いて涙を流しているのが常である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今から15,6年前になるだろうか、私の妻は激しい急性症状を伴う精神病を発症した。横にいて看病をする私も なんとかしばらくは踏ん張っていたのだが、 体力と神経をすり減らす日々の連続に耐え切れなくなり、結局20年以上勤めた職場を退職した。妻の発病から3年半ほど経った夏のことだった。
不眠の症状は 夜というものに対し、怖いとか憎い という感覚を妻に芽生えさせた。そしてそれは同時に 私にとっても苦しみの元となった。寝られないままイライラが極限に至ってしまう妻を、なだめすかして眠りにつかせるまでは、私も寝ることができないからだ。しかし日中一人で家にいる妻は、うとうとと寝たり起きたりしながら一日を過ごす一方、私の方は仕事中に仮眠をとるわけにもいかず、妻が入院していた期間を除き 常に睡眠不足であることが常態であった。
しかし発病から10年が過ぎた頃からだろうか、ようやく薄皮を剥がすように徐々に症状が快方に向かっていった。寝付けずに苦しむ夜が減っていったことは、妻にとっても家事全般を行う私にとっても涙が出るほど嬉しいことだった。
眠れない苦しみに苛まれる夜がほぼなくなった今でも、私は妻が眠りにつくまで見守る。これは妻のためというより私の安心のためだ。
ここ数年で妻は随分自分の事は再び自分でできるようになってきたが、発症当時は身の回りのこともできず、入浴とて例外ではなかった。私と一緒に風呂に入り、髪は私が洗っていたのだが、今もその習慣だけは続けている。そして風呂からあがるとブローをするのも私だ。美容師で良かったと思える瞬間でもあるのだが、調子の良くない日はその後すぐまた横になるのだから、丁寧にしないで乾かすだけでいいと妻は言うが、1日に1回、数分でいいから きれいになれたと思わせてあげたい。
私がブローをしている間、妻は目を閉じて私に髪を任せるが、それが終わると鏡に映った自分をチラッと見て 小さな声で『ありがとう』と言う。好きでやっていることなので礼など要らないが、こんな日常のルーティーンこそが、ささやかながら私にとってはかけがえのない幸せな時間である。