月見バーガー '24 【里帰り】
今年のマクドナルドの月見バーガーのCMは、月に行ってしまったかぐや姫(宮﨑あおいさん)が、『よっ!』と手をあげて、地球で長年住んでいた懐かしい我が家に現れるのが印象的だ。
このCMには前年の同シリーズに引き続き、松重豊さんが翁(おきな)役で出演している。私の一番好きなTV番組の一つである『孤独のグルメ』の松重豊さんの役どころはホントいい。この世には厚かましい中高年というものが佃煮にするほど存在するが、物語の中での彼はそんな輩の対極にあるような、至極良識的なサラリーマンである。思うに彼自身の人となりがにじみ出ているのであろう。
そして媼(おうな)役は 私が若い頃、夢に見るほど恋焦がれた手塚理美さん。ホントに好きだった。中学を卒業した後は お小遣いというものが無かった我が家では、バイトでしか自分の自由になる現金は得られなかったが、そのお金で買った彼女の写真集は 親に見つからないように本棚の奥に隠していたものだ。彼女が今エミー賞のニュースで持ち切りの真田広之さんと結婚した際、私は既に美容師として働いていたが、それでも手塚理美さんが誰かの人妻になるという事実の前に、自分の青春が 確かに一つ終わった感じがしたものだ。
やはり昨年と同じく のめり込みやすい私はCMの世界に入ってしまった。かぐや姫の『よっ!』の場面に至るまでの経緯を勝手に想定し、下手の横好きで話を紡いでみた。以下はそんな妄想から生まれた物語の 2024年バージョンである。
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<登場人物>
◇かぐや姫 主人公。月王の娘
◇翁・媼 かぐや姫の地球での育ての親
◇月鏡宮 かぐや姫の元許婚。月軍の連隊長
◇月海帝 月国の王。かぐや姫の父
◇翡翠命 王妃。かぐや姫の母
◇月読命 月・夜を支配する神話の神
1.旅立ち
かぐや姫を月に連れ去られぬよう、帝は朝廷に守備隊の特別編成を命じ、十五夜には 武装した2千を超える兵隊たちが、かぐや姫の住まいの周囲に配備されることとなった。しかし用意周到で臨んだ防衛戦は、月側の無血勝利であった。なぜなら姫を守るべく集結した精鋭部隊の強者どもは、月の使者たちに相対した瞬間 体の自由を奪われて身動きが取れなくなり、かぐや姫が連れ去られるのを むざむざ見送ることしかできなかったからである。
とうとうかぐや姫の一行は地球から月に向け、ゆっくりと旅立ってゆく。翁(おきな)であるゆたと、媼(おうな)のさとは、迎えの天女たちとともに雲に乗って手を振る姫が空高く見えなくなるまで、いつまでも名を呼び続けていた。
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2.月までの道程
思えばこの星で過ごしたことも、自分の罪を償うための禊ぎの日々だったとはいえ、遥かに霞みゆく地球を眺めながら、かぐや姫は ゆたとさと2人の優しい顔と、数々の出来事を懐かしく思い出していた。この先私はどうなるのだろう。月に帰ったら笑顔でいられる時間があるのだろうか。罪人である自分に居場所はあるのだろうか。寂寞の思いと共にそんな不安に苛まれながら かぐや姫は過酷な運命に身を任せるのだった。
瑞穂の国を発ったかぐや姫の一行は、翌々日には地球からおよそ2万里の地点で待機していた 月の防衛軍に合流、この後姫は月軍による護衛の下、20年ぶりに会う王が待つ月を目指すことになった。
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3.月での出迎え
月では近衛師団に所属する中でも最精鋭である第三連隊が警護及び王女の迎えにあたることになった。連隊長である月鏡大佐は、10年近く前に戦闘で片足を失っているため 義足を装着している。不自由な体でなお連隊の指揮をとり続けているのだ。月鏡大佐は今回の任務に就くにあたり、王の意図的な思いを感じざるを得なかった。なぜなら月鏡大佐(月鏡宮)は、かぐや姫が月に住んでいた時の婚約者だったからだ。遠い親戚にあたる2人は、幼い頃から一緒に遊ぶ仲だったが、成長するにしたがって その思いは恋心に変わっていった。かぐや姫の父が即位した後は2人の身分の差が問題にはなったものの 互いの愛は深く、不釣合いだという声に左右されるものではなかった。
何もかも順調に進むかと思われた縁談だったが、突然にそれは起きた。婚儀を間近に控えた夜、親類への挨拶回りの帰り道に かぐや姫はお付きのもの共々暴漢に襲われてしまう。奪われた金や、顔や体に負った傷は程なく癒えたものの、あろうことか かぐや姫は暴漢の子を懐妊してしまうという不運に見舞われてしまったのだ。
君主たる王の姫君が許婚とは別の男と交わり、またその子を身に宿したとなれば ただでは済まない。我が娘が被った忌まわしい事実、そして体の中に起きた悲劇を知った王は、不憫な我が子の運命に泣き叫んだ。幼い頃には体が弱く すぐ熱を出して心配ばかりさせられていた姫も、成長して美しくなっていた。これから女としての幸せを掴もうとする矢先だったはずが、正反対に失意のどん底に落ちた娘を見ると、王は胸が締め付けられ 食事も喉を通らなかった。
裁判の結果 姫を汚した男は死罪が決まったが、姫は月で暮らすことが許されないこととなった。はるか遠い地球において 月に住まう現在の年齢に達するまで赤子から生きるよう裁定が下ったのだ。父王はその可愛い娘を手元に置いておくことが叶わなくなったのである。
しかしこれで不幸は終わった訳ではなかった。元々病弱であったため かぐや姫を産んでからは床に臥すことも多くなっていた母、そして王妃である翡翠命は、一連の事件で精神的に大きなダメージを負ったことで生きる気力を失い、しばらくは今世を漂っているだけのように生を繋いではいたが、姫がいなくなって静かになった王宮内で、静かに息を引きとった。
王の怒りは君主としての良識をも見失わせた。側近に諫言されるまで 件の暴君を刑場において自らの手で処刑するのだと息巻いて叫ぶほどだったからである。
かぐや姫は赤子の姿で地球に赴き、手はず通り人の好い老夫婦のもとで暮らすことになった。本件に一旦の区切りがついた王は、しばらくの間まつりごとが手に付かず、毎夜一人になると地球を眺め、また妻の位牌に手を合わせ涙を流す日々を送ったのだった。
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4.かぐや姫の罪
敬礼で迎える月軍の兵。そして故郷の地に久しぶりに降り立つかぐや姫。しかし踊り歌うほど喜んでしかるべき父王は、家族を守ることができなかった自責の思いを20年前からずっと持ち続けていた。赤子からやり直した人生のおかげであの頃と全く変わらない娘の美しさに驚きはしたが、王はそんな娘の姿をまともに見ることができなかった。
心労ですっかり老け込んでしまった父の前に進み出たかぐや姫は、涙を浮かべ震える国王に向かい、『父上、お久しぶりでございます。ただいま戻りました』とゆっくりと告げた。
大きな罪を犯した扱いにされたかぐや姫には 罪人としての決まり事が適用される。規定によりこの先結婚することや子を成すことは許されないのだ。しかし地球での長い償いの日々を終え、この度晴れて月の住人に戻ったことで王宮では歓迎の催しが夜を徹して繰り広げられた。
母の死を知らなかったかぐや姫は、とても喜べる気にはなれずに宴の間中 終始無理に笑顔を作っていたが、そんな姫をじっと見つめる目があった。月鏡宮である。彼は判決によって 地球で赤子から人生をやり直すという かぐや姫の処遇が決まった20年前、なんとしてでも月における存在が消える前に姫に会って、共に作り共に過ごした日々の礼を言うこと、地球の暮らしにおける無事を祈っていること、そして最後に自分はもう誰とも結婚はしない という胸の内を伝えたかったのだが、厳重な警備に囲まれ、幽閉されている姫に会うことは叶わなかった。
あれから随分経った。あの時からこれまでには 自分に思いを寄せる 姫君たちとの縁談は数多あったが、月鏡宮はどの女性とも結婚するつもりはなかった。叶わぬ望みとは知りながら彼の心の中にはずっとかぐや姫がいたのである。
一方もはや誰の妻にもなれないものと諦めているかぐや姫も、月鏡宮を慕う気持ちを殺し、この先死ぬまで独り身で過ごさねばならぬのだと、覚悟の人生を送るつもりだったのだ。
地球とは違って月ではお付きの女官が何かと面倒を見てくれるから、日常の生活を送るには何も不自由はなかったが、自分は何のためにここに住んでいるのだろう? 生きている意味はあるのだろうか? そんなことを考える時間が日増しに多くなり、かぐや姫は孤独に苛まれた。自分のせいではないことながら、汚れてしまい罪人になり果てた我が身。将来自分は誰かの妻になることも子を成すこともない。そんなことを考えながら つい最近まで過ごしていた瑞穂の国での暮らしを、懐かしく思い出しながら毎日を送るのだった。
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5.王の覚悟
ある夜 王宮に王の招きにより月鏡宮が訪ねてきた。王は月鏡宮と我が娘の心の内がわかっていた。可愛い娘に苦労をさせた罪滅ぼしの思いもあり、王としての立場はおろか、自らの命と引き換えにしたとしても、なんとか2人を結ばせたいと内心苦悩していたのだった。しかしこの月においては 掟を変えようにも 重鎮どもの古い頭の頑固さを覆すことは容易ではなく、たとえそれを乗り越えて2人が結婚したとしても、保守的な月の衆生の倫理観から 幸せにはなれそうもなかったのだ。
月鏡宮は困惑していた。たとえ信任が厚いとはいえ、一兵士である自分一人が王に直々に呼ばれるのだから、何かあると思わざるを得ない。侍従に案内された部屋には王が一人で立っていた。片方しかない膝を付き『お呼びでございますか』とかしこまる月鏡宮に、王は『月鏡大佐。単刀直入にお聞きする。そなたは今でも娘と一緒になりたいのだと世間ではもっぱらの噂だが、それは本当のことか』と目を逸らさず聞いた。月鏡宮は答えに窮した。
『・・・私は今年で齢四十三となります。若い姫とは年齢が釣り合いませんし、そして姫は条例によって・・・』と語尾をはぐらかしながらもやっと口にすると、王は顔を伏せる月鏡宮の間近まで近づいた。
短い沈黙の後『それはまことの気持か?』と静かに尋ねたのだ。
『・・・』月鏡宮は王の足を見つめたまま言葉が出なかった。と同時に月鏡宮は王が泣いていることを気配で察した。(私のために・・・)畏れ多くてどう対応したら良いのかわからなくなったが、もはや嘘やごまかしは礼に反すると思えた。
『どうなのだ』 王は月鏡宮に再び糺した。有無を言わせぬ響きであった。
月鏡宮は王の前にもはや観念した。『・・・月海帝様、正直に申し上げます。・・・私は姫君が地球に遣わされることに決しました20年前に、我が人生において、この先もう姫以外に一生妻をめとらぬ覚悟でおりました。・・・しかしその後私は右脚を失ってしまい、日常の生活もままならない体になりました。本来なら退役か 良くても予備役に回されるべきなのだと思いますが、今もこうして連隊を任されており、この上なく有り難く、また申し訳なく思っております。
姫はお若くそしてお美しい。お慕いする気持ちはあの時に一分たりとも劣らぬつもりではありますが、もし条例や決まり事などが無かったとしても、私などと一緒になれば姫を不幸にするようにしか思えません。
・・・しかし・・・しかし久しぶりにあの頃と変わらぬ姫を見ておりますと、我が腕からすり抜けていったことが今でも恨めしく、私自身若き頃と同じ思いが込み上げてくるのでございます。・・・込み上げてきてどうしようもないのでございます・・・』 一思いに言い切った月鏡宮の頬には、物心ついて以来 はじめての涙がつたっていた。
男は、ましてや武人たるもの、決して人前で涙を見せるものではないと父に厳しく教えられ、子供の頃からそれを守ることが当たり前だと思っていた月鏡宮が、禁を破った夜だった。
『月鏡大佐。誤解してもらっては困るのだが、貴殿に連隊を預けておるのは贔屓でも情けでもない。貴殿にしかない人としての幅と 統率する力があるからだ』王はそう言うと、続けて『貴殿の気持ちはよくわかった。ところで貴殿は娘との暮らしのために全てを捨てられるか?』 驚いて見上げた月鏡宮を見る王は笑ってはいなかった。
『私は月読命様にお会いしようと思う』 王がそう言うと 月鏡宮は目を見開いた。『今なんとおっしゃいましたか。・・・月海帝様、それは命をお捧げになるということでは・・・』
『そんなこと位わかっておる』 王はそう言いながら『もう既にわしがいなくなった後の備えまで考えておる』 と静かに微笑んだ。
月読命は月と夜を司る神である。伊弉諾・伊邪那美(イザナギ・イザナミ)の子であり天照大神の弟にあたるそのお方は、これまでに何人もの願いを聞き届けてきた。願い人の心からの思いが伝われば、月読命は必ず叶えてくれる。ただしそれは命と引き換えだ。そしてその願いとは、自分に利するものであってはならない。そうでなければ願いは叶えられず、命だけが月読命に捧げられることになるのだ。
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6.月読命
警護の兵たちの隙をついて、明け方密かに王宮を抜け出した月王は、その日霊峰 保偉編須山に登った。月読命に謁見するためである。雨が降った後で濡れた山道は老いた足にこたえたが、どうしても聞き届けてほしい願い事のため、杖をつきながらも明け方までに道なき道を進まねばならない。
数時間かけてようやく頂に達した王は、古より伝わる手法に則り、月読命を呼び出す儀式を行った。決まった呪文を長らく唱えた後、最後に『かしこみかしこみ申すぅぅぅ』という言葉を力強く発すると、静まり返っていた頂に何故か風が吹き始め、しばらくするとゆっくりと地面が揺れ出した。やがてその揺れが大きくなり、ついにはゴーッという大きな音が鳴り出すと、鳥たちは一斉に飛び立った。
漆黒の闇の中にひざまずく王の周囲に光の粒が点滅し始めた。やがてその光は数を増やし、とうとう王はその無数の光の渦の中に隠れて見えなくなった。音はさらに大きくなり、耳をつんざくばかりになった次の瞬間、ピタッと音が止んで急に静かになったと思うと、光の粒は手を合わせる王の前の一点に集まり、眩いばかりの月読命の姿が空中に現れていた。
覚悟は決めているものの、あまりの出来事に王は汗をびっしょりかいていた。『此度はお出ましくださり有難うございます。私のために時間をとっていただき誠に申し訳ございません』王は緊張の中、震えながらそう言った。
『月海よ。お前の望みはわかっておるが、改めて聞く。お前の娘が地球での転生が決まった際、なぜ王という立場にこだわった? なぜそれを阻止しようとしなかったのだ!?』 思いがけない月読命の言葉だった。王は想定していなかった月読命の指摘に言葉を失った。(あの時私は君主として、そうするしか方法がないと判断し涙を飲んだが、月読命が言われる通り 自分にはその時 王の立場を捨てる覚悟が無かったのだろうか)
『それだけではない。お前は妻を、娘の母を殺したのだ。それはわかっておるのか? お前のその罪さえもわしに赦せと申すか?』
王は頭を横に振りながら言った。『私の罪は言い訳が出来るものではありませぬ。私は一時の惑いのために 我が娘をはじめ、何人もの罪なき者を巻き込んでしまいました。せめて罪滅ぼしのため このような老いぼれでも、これから先の人生は、その者たちのために捧げとうございます。どうぞお召しくだされ』
王がそう言い終えると月読命はスーッと見えなくなっていった。しばらくすると何事もなかったようにあたりは再び漆黒の闇となり、ぐったりと疲れ切った王だけが残された。
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7.懐かしの我が家
月鏡宮は古びた住まいに 妻であるかぐや姫が入っていくのを雲の上から見ていた。育ての親である翁と媼は突然の姫の帰省に目を丸くしている。かぐや姫は何事もなかったように『よっ!』と手を上げ、地球において広く巷に広まっている携帯食である飯婆我を2人に差し出した。
色々なことが起きた ここ最近の出来事を振り返り、雲の上から明るく振る舞うかぐや姫の姿を見ていた月鏡宮だったが、父母を亡くしたこの女性のことは何があっても手放さず、絶対に自分が守り抜くのだと心に決めていた。