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 もうすぐ蛍の季節がやってくる。我が国には古よりこの小さな光る虫を愛でる文化があるが(外国にもいるんだろうけど)、私はため息が出るような群生地であっても、また数匹が飛び交っている水辺の景色であっても、その場所にいると 郷愁というよりももっと限定的なシーンが蘇る。

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 ある夜、洋間(みかん山をやっていた頃は選別の作業部屋だった)に座らされた母が 祖父をはじめとする5,6人に囲まれ、その中の1人(伯父=母の兄)から散々嫌味を言われるってことがあった。その時の私の家族は母の実家(私の生家でもあるが)に居候していたのだが、それ以外に抜き差しならない事情も相まって 母は母なりに自分の親兄弟や親戚を相手にまわして私たち兄弟を守ろうと、一人で立ち回る形になっていた。私たち兄弟というもの、その家での位置づけは『可哀そうな子供たち』であったが、祖母だけは意地っ張りな母の味方であり 、私たちに何かと気を遣ってくれていたから、祖母が近くにいる時だけは、兄と私はみじめな思いをせずに済んでいた。

 『子どんに迷惑ばかけてでん、せんばならんこっのあっとか!? (子供に迷惑をかけてまでしないといけないことがあるのか?)』と詰め寄る伯父にも、祖母は『そがん言い方やせんと。これまでざぁまに助けっもろちょったっやなかっか? (そんな言い方はするな。これまで散々助けてもらってきたんじゃないのか?)』と母をかばう。うつむいて動かなかった母だったが、こわごわ様子を窺っている私に気がつくと 悲しい微笑みを浮かべながら小さな声で『◯っちゃん(私のこと)は 外に出ちょらんね(出ていなさい)』と言った。

 家のすぐ近くにある小さな川にはたくさんの蛍がいた。私は10歳になったばかりだったが、ツーッと目の前を飛ぶ蛍が 涙でみるみる滲んでいく。母を助けられない情けなさやこれからの不安で、処理能力を超えて思考停止になった私は、しゃくりあげながら川辺に立ち尽くしていた。

 空っぽになってしまっていた私は10分ほどそこにいただろうか。しかしハッと母のことを思い出し 走って家に帰った。ちょうど先ほどの『説教の輪』から解放された(というか、自分から『もういい!』と飛び出した)母は私たちに『すぐに引っ越すけん』とだけ言った。兄は もうすぐ学校で何かの会があるのだと母にモゴモゴ言ったが、母の目の中に 後戻りする気はないことを感じ取った私たち兄弟は、もはやここには居られないんだなと悟っていた。そしてそんな母と私たちの悲しい決意を、祖母は一人 険しい顔をして洋間の中から見ていた。

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 五島列島の生家の近く、街灯1つない漆黒の闇の中で見ていた蛍は、夜空の星との境界線があいまいになっていたから 足元から天の川まで光の明滅が繋がっていた。少年時代以来もはやそんな絶景に遭遇することもないが、今でもたまに蛍を見る機会があったりすると、鬼籍に入ってもう随分経つ祖母の笑顔と共に あの夜のことを思い出す。

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