リアリティ番組
リアリティを追求するあまり男女を共同生活させて、実際の人間関係や恋愛模様をドキュメンタリー作品として公共の電波に乗せる、、、。なんとも民度の低い悪趣味な番組から死者まで出てやっと気づいたかと思っていたけど、有料動画配信サービスなんかではまだまだ似たような番組を視聴できることを最近知って心から驚いている。そしてムクムクと怒りが湧き上がってきた。少々言葉は荒れるが、今でもリアリティ番組が制作され続けていることを知った今、言わずにはいられない。あの手のTVプログラムはどうして後から後から出てくるのだろう。そんな番組を制作する側の人間も、あおるマスコミも揃ってアホなら、それを求める視聴者も間接的に罪を犯していると思う。
どうして、なぜ、気づかないんだろう。ほんのちょっと考えれば、取り返しのつかないことになる可能性を秘めていることくらいわかるではないか。バカじゃないのか? またあんな番組を観ている視聴者は、一体何を「面白い」と思っているのだろう? 誰かが辛い思いをすることや失敗をすることを笑ったり怒ったり呆れたりしながら楽しめる感覚が信じられない。悩んでいる人を見て面白いのか? 制作する方はする方で、バカな視聴者が喜びそうな低俗極まりない内容や演出を考えるのだろう。こんな演出をすればDQNどもが狂喜するだろうと。
ところでこの世にはいわゆる「ドッキリ」と呼ばれる番組もあるが、あれを楽しめる人はリアリティ番組を楽しめる人と同類なんだろうと私は思っている。仕掛ける側は全員知らん顔をしながら、一人それを知らないターゲットを騙すことに共謀しているという図式は、小中学生のいじめと何が違うんだろう。サプライズなんかも同じだ。それをしたからどうだというんだ? まったく、プロポーズにクサい演出をしたがる(しなきゃいけない、するのが誠意)最近の風潮は、何かの新しい宗教か? ついでにいえば、なんでインタビューなんかでは『プロポーズの言葉は?』って聞くんだろう。小洒落たことを言わなきゃいけないの? そんなことをやりたがるDQNにも、フラッシュモブがお洒落だと思っている低能にも、こんなこと言ってもきっとわかってはもらえないだろうけど。
以前『トゥルーマン・ショー』というアメリカ映画があった。名優ジム・キャリー演じる主人公1人だけが自分が生活しているところはリアルな世界だと思い込んでいて、隠しカメラで彼の生活を追う映像を、状況をわかっている視聴者がショーとしてTVで観ているいう、ホラーともSFともいえる作品だった。映画だから観ていられたが極めて非人道的な設定だ。
ドッキリ、サプライズ、フラッシュモブ、全てそうだが、とにかく『騙された人を見て楽しむ』のはやめた方がいいと思う。あれは仕掛ける側が自分たちのことしか考えない、質の悪い騙し事でしかない。もしかしたらエンターテイメント好きのアメリカ人だから肯定的にとらえられてるんだろうか。しかし全員が本当にジョークだと思ってくれるのか? 傷付く人はいないのか? あの手の行いのクセの悪いところは、された側の気持ちではなく、仕掛ける側の気持ちしか考えられていないことだと思う。
ドッキリなんかに手を叩いて笑っているくせに、「SNSでは誹謗中傷となる発信は厳に慎しまなければ、、、」とか「いじめは卑劣な犯罪です、、、」みたいなことに、うんうんと頷いている偽善者の多いこと。件の女子プロレスラーを誹謗中傷していた奴らは、軒並み自分のアカウントを慌てて削除したと聞く。もちろん自分のところに女子プロレスラー自殺の責任が及ぶことを避けるためだ。でもあれから1年経ち、もうビビったことも忘れているだろう。きっとそろそろ匿名性が保たれた別のところでまた同じことをしてるんだろう。罪の意識などサラサラないであろうヤツらの脳味噌は爬虫類並なのだから。