だれかのいつかの思い出と暮らす「オサガリスト」的生活
現在、築約150年の古民家を改装し暮らしている。
改装の経緯は、シリーズで現在投稿中(まだまだ続くよ)
なのでよかったら、、、⇩
古民家ってよく考えると「大きなおさがり」なんだよね。
かつて自分以外の所有者がいたもの。
そう考えると、昔から私は「おさがり」と共にいた。
子供の頃は、家の中では長女だったから兄弟のおさがり的なものは
無かったが、親戚、父母の知人、などから子供のおさがりをもらっていた事はあったと思う。ただ私はおさがりをもらっている意識はその頃あったか微妙だけど。
覚えているのは、従妹のおさがりのリカちゃん人形。
着せ替えの服を買う余裕はないから、我が家のリカちゃんはミニマリストだった。もしくはちぐはぐな母が自作したスカートを履いてるくらい。
リカちゃん人形って思ったよりも実はお手頃なんだよね。
ただそこで終わりじゃないから。
リカちゃんがいれば、絶対に着せ替えして遊びたくなる。
そしてその服飾費が馬鹿にならないのだ。
シルバニアファミリーもしかり。
みんな、商売上手だなあ・・・
何の話?
おさがり、おさがり!
高校になるとバイトもして、自分である程度好きなものが買えるようになる。
友達と一緒に出掛けた商店街にリサイクルショップがあり
私が躊躇なく服やカバンを選んでいるのを見て、
「それ、人が使ったやつでしょ?!買うの?汚くない??」と友達が驚いていた。
そうか、そういう考えの人もいるんだ。
彼女は決して失礼ながら潔癖な訳ではなかったし、なんならいつも腰パン(当時流行っていた)してるからジーンズの裾はいつも引きずっていて砂や泥にまみれていた。
「お前が言うなよ」
と思った。言わなかったけど。
なんなら私も腰パンはしてないけど引きずってたし。
誰かが一度所有していたものに対して、そんな子供でも(子供じゃないけど今の私から見たら)気にするのであれば世間の大人はもっと気にする人がいるのだろうか。それとも時代もあったのだろうか?
それとは逆に、最近リサイクルショップで買い物をしていたら
小学生くらいの子供が親に
「人が着た服なんで買うの?汚いよ~」的なことを大声で言って
親御さんにたしなめられていた。
親は気にしないけど、子は気にするパターン?
考え方は人それぞれ。
本も同じで、最近はもっぱら古本派の私だけど
それは、お金の面の理由もあるし(・・・・)
新刊が欲しい訳でなければ古本屋の方が、ちょっと昔の本など普通の本屋さんにはない目新しいものがあって(古本なのに目新しいって変だけど見かけないという意味で)
断然おもしろい掘り出しものがあって楽しいから。
だけど、その時、環境によってやっぱり変わるのだと思う。
働いていた時は、本屋さんで躊躇なく正規の値段で本を買っていた。
なんなら、古本もたまに買うけど、なんとなく正規の値段で買った本でないと読了できない気がして、あまり買わなかった気がする。
今はどちらも全く関係なく読む。
まあ、絶賛積読祭りだけど(本好きあるあるでしょ?
そんな訳で、「おさがり」に囲まれて、常に見知らぬ誰かの思い出のもの、思い出になりそびれたもの、泣く泣く手放したもの、、、、
想像するとキリが無いが「おさがり」がある世の中で本当によかったなあと思う。
お下がり=下に下がっている、価値の下がったもの、使い古されたもの
みたいな感じに取られそうだけど
なんだかこの「おさがり」って言葉私は好きだなあ。
そんなものたちに囲まれて、ついには住まいまで「おさがり」にしてしまった「オサガリスト」の話でした(そんな言葉ない)