見出し画像

映画記録① インターステラー10th。を観る35th女性。



『インターステラー』が公開10周年記念でIMAX®を期間限定再上映するというので、早速観てきた。











……あんなに「愛」についての物語だったの?

――――――――――――――――――――――

今回の記事では視聴済みの方に向けて書きたいことが多く
映画の内容説明を省くのと、ネタバレ描写があります。
お気をつけて…!
勝手ながら未見の方は読まないことをおすすめします。
「インターステラー」は自分が個人的に初回を
事前知識少なめで観てよかったなーと思っているからです。
何回も見たくなる作品だと思うので初回の感動を
大事にしてほしいという気持ちです。
よい映画ライフを…


――――――――――――――――――――――

2014年参考画像





2014年の「インターステラ―」公開当時。



映像業界に憧れTV番組のADをしていた私は、カメラマンも編集マンも皆が噂をしているクリストファー・ノーラン監督の最新作を観るべくウキウキで映画館に足を運んでいた。



その壮大な物語と映像にものすごく感動してワンワン泣き、そのすぐあとに映画館でもう1回、DVDになってからTSUTAYAで借りて2回、配信が出てから2回、2年ほどで計5回観た。
科学や宇宙のことは専門的な言葉が多く理解はできていなかったけどSFとして、ヒューマンドラマとしてとても好きな作品になった。



そして満を持して迎えた今回、10周年記念のIMAX特別上映。
久しぶりとはいえ5回観てるし。物語の内容は知っているから大きなスクリーンでまたあの映像と音響を楽しめたら。

そんな気持ちでプラッと出かけた。





ところがである。

数年ぶりにみたそれは自分でもびっくりするくらい
印象がまったく変わっていた。
後述するが、自分のなかでカテゴライズしていた
映画としての”ジャンル”からごっそり変わった。




前回と全く違うところで泣きとおしだった。

以前は壮大な音楽がかかる、各道程のピークや計画の成功地点でよく泣いていたはずだったのに

今はクーパーと同じところ、地球に残してきた家族を想っての些細な言葉や表情にグッときてしまうのだ。



仲間とのやりとりについてもである。
とにかく壮大な宇宙より、船のなかで交わされる細かいセリフのやりとりに涙腺がゆるむ。


とくに物語中盤、1つめの目的地「ミラーの星」に行った後
クルーが次に行く星を「マンの星」か「エドマンズの星」かで決めかねているときのこと。

エドマンズの星を推したアメリア(アン・ハサウェイ)がクーパー(マシュー・マコノヒー)に『エドマンズが好きだから行きたいんだろう』と指摘された際に返した言葉。覚えているだろうか。

地球の未来がかかってるのに。科学者なのに。そんな非現実的で個人的な理由を挟むな、という周りからの糾弾や疑念の気持ちを感じる中での言葉。

ここはもう、少し長いですがフルで引かせてください。


※原文と訳を配信字幕から引用しました。
翻訳は字幕と吹き替えで個人的に好きな方を当てています。


―――――――――――――――――――――――――――――――――
Cooper:She’s in love with wolf Edmunds.
「アメリアはエドマンズを愛している。」

Amelia:Yes…and that makes me want to follow my heart.
「ええ…自分の正直な気持ちに従いたいの。」
But maybe weve spent too long trying to figure all this out with theory.
「私たちはあまりにも理論や学説に縛られすぎてきた。」
…So listen to me , when I say that love isn’t something we invented. It's……
「話を聞いて、私はこう思うの、愛は人間が発明したものじゃない、
observable,powerful,It has to mean something.
愛は観察可能な力よ。なにか特別な意味がある。

Cooper:Love has meaning,yes. Social utility, social bonding,child rearing……
「愛の意味か、あぁ、社会の安定に子孫繁栄ー……」

Amelia:We love people who have died, wheres social utility in that?
「死んだ人を愛している、それも社会的な貢献?」

Cooper :None.
「いいや。」

Amelia:Maybe it means something more,something we can’t … yet understand.
もっと何か意味があるの。私たちが理解できないなにかが。理解してないだけ。
Maybe its some evidence…some artifact of a higher dimension,
that we cant consciously perceive.
「たとえば、そう、なにかの証拠(手がかり)かもしれない。私たちには感知できない高い次元のなにかとか…
I’m drawn across the universe to someone I haven7t seen in a decade.
「だって10年も会ってないひとに宇宙を超えて会いたいだなんて。しかもそのひとはおそらくもう死んでいる。」
Who I know is probably dead.
“Love is the one thing we're capable of perceiving that transcends dimensions of time and space. 
愛なら私たちにも感知できる。そして愛は時間も空間も超えることができる。」

Maybe we should trust that, even if we can't understand it yet. OK Cooper
だからたとえ愛を理解できなくても、愛を信じていいと思う。…そうよクーパー。…The tiniest possibility of seeing Wolf again excites me.That doesn’t mean im wrong
「まんにひとつでも彼に会えると思うと嬉しかったわ。それが間違い?」

――――――――――――――――――――――




このセリフ。



このセリフ……










10年前もあった?









自分でも驚いた、というか引いたけど私はこの部分を一切、さっぱり綺麗に覚えていなかった。


今回観るまでアメリアのことをずっと、「元カレに会いたがってたキャラ設定の人」くらいにしか思っていなかった。5回観てるのに。
元カレですらない。「She’s in love with Wolf Edmunds.」とクーパーが言う通り進行形、いまも好き。



ずっと会いたかったのだ。そのうえで科学者である彼女がここでは愛を、科学や物理学における「時間」や「重力」といったものと同等に扱っている。
「まだ」理解していないだけで、同じ、観測可能な力だと。"yet"を添えるそこへの希望も科学者らしい。


アメリアの言うとおり、愛が生殖や種の繁栄のためのものであるなら一見辻褄の合わないことや効率が悪そうなことは確かにたくさんある。居なくなった人を忘れられないことや、もっと言えば片想いとか恋愛にまつわる多くの悩みはバグに近く、必要ないはずのものに思える。


もっと違う意味のある力なのだとしたら。

ちょうど、2次元(平面)の世界に3次元から指をつっこむと平面の住人にはいきなり世界に穴が開いていきなり閉じたように見える
というように、高次元の世界の一部がこの世界に干渉していて私たちは「今はまだ」その存在をただただ感じてだけいるのかもしれない。

「長さ」と「幅」の2次元、そこに「高さ」を加えた3次元、「時間」を足した4次元、どこかの次元ではその要素が「愛」なのかもしれない。



とにかく今回、ここのセリフにはとりわけ胸を打たれた。10年前の私はアメリアのなにを観ていたのだろうか。キャラ設定もなにも、きっとすごく物語の核の部分だ。

これはSF大作というだけでなく愛についての物語、愛の讃歌の映画だ。全然気が付かなかった。





ーーただ、時を経て観た映画の解釈が当時と変わるというのはそう珍しい話ではない。


私は一連の気づきも含め「インターステラー」の見方や感動する場所が自分のなかで変わったのも
おそらく当時していなかった恋愛をして、経験を経て、愛というものを知ったからだろうとフンワリ思いながら映画館をあとにした。




その数日後、仕事が長引いて現場で残業をしていたときのこと。



はやく帰りたいなぁ。晩ご飯を恋人と一緒に食べたかったのに。と思って、気づいた。





こっちかもしれない。






自分があの映画をみていま、あれだけ泣いたのは好きなひとがいるからそれ自体というより




「帰りたい」と思うようになってるからかもしれない、と。







10年前、私には帰りたい場所がなかった。
当然だ。ADなんて“帰る”ことに興味のある人間が就くべき職業ではない(暴論)。だって帰れないんだから。


テレビ局というのは不思議な建物で大抵、社屋のワンフロアにカプセルホテルや仮眠室が入っている。コンビニもシャワー室も。

特番担当にでもなった日には、丸1か月ほど家には帰らず平気でデスクの床か椅子かそこで寝る。いろんな方向からほぼ10分おきに鳴る誰かのアラームに起こされながら。

徹夜明けの朝方、照明の消えた編集室のなか薄闇で蛍光に光るモニターとボタンに囲まれながら真夏に毛布をかぶってまどろみつつ――編集室は、機材を冷やすため年中冷房が強くて寒い――
宇宙船の操縦席みたい、と思ったことさえそういえば、あった。



当時撮った、照明を消した編集室の写真
ここで寝ることもあった



とにかく、どこにいたってよかった。
帰りたい場所も会いたい人もなかった。好きな人もいなかった。
ただただかっこいい映像の作り方を、編集のしかたを知りたかった25歳の頃の私はそんななかで観に行った「インターステラー」を
技巧とロマンにあふれた最高のSF映画だと感じた。





今はでも、帰りたい場所がある。
休みたいから帰りたいわけではない。
普通にそこにいるひとの日常を「見逃す」のがシンプルにもったいない。みてたい。から帰りたい。



あと、待たせるのが嫌だ。




南極に宇宙に渋谷駅前にわたしはきみをひとりにしない




歌人の岡本真帆さんが、飼っていた犬を想ってつくった短歌。

(こちらの記事と短歌もとても素敵なのでぜひ……)


ハチ公も南極物語のタロとジロも、愛されていた、飼い主もそうしたくてしたわけじゃない。

それは皆わかってる。仕方がなかった。だから感動物語にもなっている。それでも犬を愛するひとの筆によって、この短歌は詠まれる。



――でも置いていったじゃん。私だったらそんなことできない。



そういう、愛するものを目の前にしたひとの、毅然とした想いのつよさ、
ライカをはじめとする宇宙犬や極観測樺太犬など、いぬに人間の勝手で危険な任務を負わせることへの時代を超えた憤り。

いまこの瞬間だって渋谷駅前の忠犬ハチ公の像を「まだ待っててかわいそう」と思って見つめるひとがいるのかもしれない。きっとそのひとは犬を飼っている、あるいは飼っていた。
偉いねぇかわいい、とへいきで頭を撫でられる私は犬を飼ったことがない。



とにかくこの
「事情はあったのかもしれない。でも事実、置いていったじゃん。私と『事情』を天秤にかけてそっちをとったじゃん。」という感覚。


待たせて、そんな不安や疑念を相手に抱かせるのが嫌だ。
おそらくクーパーの娘・マーフはそう思った瞬間があった。そういう描写がある。



だから、そう、私がクーパーと同じ立場でも一刻もはやく帰りたい。見逃したくない、ひとりにしたくない、大事だって言うのが嘘じゃないってわかっていてほしい。そういう感覚を知ったから、「はやく帰りたい」というクーパーの気持ちがとにかく切なくて悲しい。はやく帰らせてあげてほしい。




なのに「インターステラー」のなかでは無情にも10年単位で時間がサクサクと過ぎる。



特に最初に行く「ミラーの星」、ここでは時間の流れがひどくねじれていて「この星での1時間は地球の7年間に値する」というセリフまである。


そしてこの星にいる間ずっと、後ろで1秒強感覚でチク、チク、と音が鳴っている。解説動画を観て知ったのですがこれは「地球で1日が過ぎる間隔で鳴る音」だそうです。



「帰りたい」気持ちがいまの自分のこの映画への最大のシンパシーであることに気づいたあと、10周年IMAX上映をもう一度観に行った。


音のことを知ってから観るミラーの星のシーンとかもう。チク、チク、となるたび「ああっ」「食事3回見逃した」「3か月くらい経った、冬服見逃した」と思えてしょうがなかった。



エンディングもこれまた、正直覚えてなかったんですけど
やっと意味がわかって、エンドロールを見送りながらボロボロ泣いた。
観返す方がいるかもなので詳細は伏せるますが
なんかもう。愛が呼ぶほうへ、である。


君は知っているだろうか悲しみも喜びも
My name is love僕がもつたくさんの名前のひとつだから
そう永遠で一瞬で きみにとってのすべてだ




とにかく、同じ映画を時間を空けて何度か観る、というのはけっこうよくやってきたことなのに今回この作品は本当に
初めて観たといっても過言ではないくらい印象がちがかった。


そしてさらに今回の特別上映でも、2回観て2回とも違う感想を抱いた。
1回目は、これはSFに包まれた愛の賛歌だ、と思った。
でも2回目は、そもそも愛そのものが本当にSFの域なのかもしれない、と思った。



最後に。この映画を包むいちばん外側の愛は
なんといってもクリストファー・ノーラン監督の映画への偏執的なまでの深い深い深い愛だと思う、


これについても語りたいことがたくさんあるけど長くなってしまうのでまた別の機会に書くつもりです。たぶんそれでも長い単体でも。



とにかくインターステラーIMAX特別上映、最高でした。

行って良かった。この映画と同じ時代に生まれてよかった。
ご興味のかたはお時間がありましたらぜひ。
(いつまでやってるか公式で発表がなく、施設によってバラバラみたいで終わってる館もあるのでご注意ください。)



私は1回目は中段、2回目は前から2列目で観ましたが前者は映画として最高だったし後者は体験・エンターテイメント、アトラクション感が強かった!

目の前いっぱいの宇宙と、スピーカーも近いのかな?エンジン音に呼応する座席の震え。たのしかった~~




109シネマズとかまだやってるので期間中にもう1回観たいなーと思っている。でもちょっと、迷ってもいる。



3時間あるこの作品。本っ当に最高で映画館のベルベットの椅子の上、この時間が終わりませんようにと願う一方で



わたしはどこかでうっすらずっと、帰りたいと思っていた。





いいなと思ったら応援しよう!