映画記録② エターナル・サンシャイン:最初に忘れるのが声なら
たいせつな愛を失ったとき。
これからずっとその空洞を抱えて生きると思うと耐えがたく
いっそその存在ごと記憶から消してしまいたい、と思ったことはあるだろうか。
――――――――――――――――――――――
最近、noteで愛の話ばかりしている。
愛って。
本来であれば口にするのも照れくさい。
リアルな会話で出すにはややケレン味があるというか、おおげさな言葉に思える。日常会話ではまず使わない。
でもそれについて書きたくなってしまうあたり
私はいま、好きな人ができたことにより
感情の黎明期特有のハイで多弁な時期にあると思う。とういか絶対そう。そうだという自覚がハッキリある。
このままいく。
35歳が書くにはあまりに青くて痛い話題だろうと
数年後に読んで脚バタしようと知らない。
このままいく。
せっかくだしこの昂りのまま
しばらくは愛についての映画をよく観て
今の自分なりの感想や解釈を留めておこうと決めた。
とはいえ愛について描いていない映画の方が、たぶん少ない。
――――――――――――――――――――――
朝起きて、内容は覚えてないけどなにかとてもいい夢を見ていた気がする、具体は無いけど何かしあわせの後味みたいなものが残っている。
布団のなかでまどろみながらそう思うとき、
私はこの岡本真帆さんの短歌を思い出す。
もしかしたら忘れている人や忘れていることが、私にもある。
そんなことを考える映画をみた。
あらすじ
――――――――――――――――――――――
手術で、特定の人に関する記憶を消すことができる世界。
ヒロインのクレメンタインは奔放で1秒1秒を全力で生きる、ときおり自由すぎるのがたまに傷のキュートで美しい女性。
「退屈でオドオドしている」中年男性・ジョエルの淡々とした日常は、彼女の登場により極彩色に塗り替えられる。
比喩に限った話ではない。文字通り、彼女の髪は想い出のたびにカラフルだ。浜辺で海風にたなびく緑髪、ソファで笑い転げてからまる赤髪、凍った湖に寝転び張り付く青髪。
その、彼女に誘われて寝転んだ氷の上ーー今までの彼なら割れるのを恐れて乗らないーーで横並びに星空を眺めながら、ジョエルは言う。
ことなかれ主義のジョエルは、それまで「nice」という感覚を良しとしていた。及第点であること、それこそ良いことという人生。恋愛についてもである。悟りというか足るを知る、というようなある種の諦観を感じる日々。
そんな彼がクレムと出会ってから「best」とか「exactly」とかいう言葉をつかうようになる。私はこの変化がとても好きだ。
ぴったり会いたかった人。保守的だったジョエルが、自分はずっとこうしたかったんだ、こういう人が好きだったんだ、と自分でわかっていく様子が見ていて嬉しくなる。
そんな彼が何かの間違いであってくれと駆け込んだ先のラク―ナ社で、クレムが「忘れた」ことについて、詳細は明かせないと告げた後で医師は言う。
てきめんにショックを受けたジョエルは自分も彼女のことを忘れるべく、忘却手術の予約を入れる。
それはそうだ。だってジョエルはヨリを戻したかったのである。まだ好きだったし幸せだった、彼女も幸せでいてくれたと思っていたと思う。
医師からそんなクレメンタインの気持ちを告げられて、自暴自棄になったジョエル。手術を受けている最中、最初はいったれやったれ!の気持ちであるが
記憶の除去作業が先の湖の思い出に差し掛かったとき、叫ぶ。
やめてくれ、消さないでくれ。しかし止まらない記憶の消去。
彼は、崩壊する想い出の景色のなかから彼女の手を引いて逃げ回る。叫んだり隠れたり、なりふり構わず思い出を守ろうと躍起になっているジョエル。この逃亡劇の切なさと美しさがこの映画のイチバンの見所であると思う。
―—ジョエルが手術を受けに行った日。
ラク―ナ社の待合室には、目を真っ赤にしてかばんを想い出の品でいっぱいにした初老の女性だとか、呆然と座る独りの男性がすわっている。
彼らの袋からはみ出す、おそらく大型犬の、いっぱい遊んだであろうおもちゃ。使い古したエサのお皿。なにかの、おそらく少年スポーツ系のトロフィー。受付から漏れ聞こえる電話の受け応えを聞いていると、リピーターもそれなりにいる。
この欠乏感を抱いて生きていくくらいならいっそ忘れてしまいたい、そうしないと生きていけないとまで思い詰める愛はなにも男女のものだけではないし
そこに至るまでの逡巡も人の数だけあるんだと思う。
手術中やっぱりいくら辛くても抱きしめて生きていきたいと思いなおし逃げ回るのも、もしかしたら
ジョエルに限った話ではないのかもしれない。
ーーちなみに、そんなこの映画にはもう1つの忘却が隠されている。これはぜひご自身の目で見ていただきたい。
「特定の人のことを忘れる」ことを逆手に取ったラクーナ社の助手、イライジャ・ウッドの立ち回りも最高である。
物語の最後。
※点線から先ネタバレになります※これから自分の目でみたいひと、気になるひとはここから先は読まないで閉じてね( ◜ᴗ◝)
ーーーーーーーーーーキリ✄トリーーーーーーーーー
とある経緯をたどって、ふたたび恋に落ちるジョエルとクレメンタイン。
また2人の恋を始めようと、君のイヤなところなんてないと伝えるジョエルに彼女は叫ぶように言う。
このクレムの言葉に対するジョエルの返答には泣かされた。
私はこの終わり方はハッピーエンドなのかどうかわからない。でもそれでいいんだと思う。
エターナル・サンシャインの脚本・カウフマンはインタビューでこう語っていた。
―咲いても実を結ばないで散る花のことをあだ花という。
転じて、結果を伴わない物事、意味がなかった徒労におわったことをそう呼ぶ。
たしかに生物学的にとか、実を結ばなければ意味がないとそうされる場合があるのは理解できる。
でも私は、というか多くの人にとって花のいちばんの魅力って咲くことや咲いてるときじゃないのと思う。実の方だいじにしてる人のほうが、稀有じゃないの。
きれいだったな、いいにおいだったな、
記憶のなかにそういう景色があることは生活を豊かに彩り
真っ暗な所にいるときも、来た道で光ってこっそり支えてくれる。
彩りと言えば、最後になるがいろいろな出来事や記憶が混じりあって時系列がわかりづらいこの映画、
クレメンタインの髪の色を意識すると、どの出来事がどの時期か少し理解しやすくなる。
1度目は驚きとともにその時間の並びをうけとめて
2度目はぜひ、そこに注目してもらうとまた違った楽しみがあると思う。
別れた恋人との思い出の写真を振り返るとき、隣にならぶ自分の髪形が時期のおおきな指標になるのと同じで。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人が人を忘れるとき、最初に忘れるのは声だときいたことがある。
最後に忘れるのはなんだろう。と考える。
気になってちょっと調べてみたけど、
人間が記憶を失うことについて研究しているAegis Livingという団体によると人が人を忘れる順番は聴覚・視覚・触覚・味覚・嗅覚の順らしい。
この映画には、においの思い出の話が出てこない。
それはでも いちばん最初に忘れるはずの声や顔がそもそも
ずっと忘れられてないからかもしれない。