季節のイベントと親と子

思春期の頃、母が季節のイベントにこだわるのが、少し(いや、だいぶ)嫌だった。
クリスマスは勿論のこと、特に、冬至の柚子湯や、新年の初詣、節分の豆まきなど、運気を良くする伝統的な行事や願掛けには、ずいぶん凝っていた。

私は当時、極端に現実主義的な考え方をすれば大人になれると信じていて、「運気」とか「願掛け」とか「厄払い」といった言葉を毛嫌いしていた。

家族と一緒にイベントを楽しむという姿勢が、思春期の自意識が刺激されて、真正面から向き合えなかったというのもある。

そんな私が、今日、お宮参りに行ってきた。
今でも、現実主義的な考え方は根底にあるが、「運気」とか「願掛け」とか「厄払い」といったことが、現実世界で役割を果たしていることも分かってきた。殊更に慣習通りであることにこだわるつもりはないが、蔑ろにするのは違うと思うようになった。
運気が実際に上がるかどうかは別として、運気を上げようとする行為が、少しでも幸せに生きるための行為の一つとして、違和感なく受け入れられるようになった。
要するに、少しは大人になったのだ。

ところで、娘との外出に必要なのは、綿密なスケジュールを立てることと、それが裏切られても冷静でいられる強い心だ。

車を持っていないと、子連れでの外出は考えることが増える。
授乳やおむつ替えをできる場所や、着物を羽織れる場所を確認する。吐き戻しで着物を汚さないために、時間を逆算して授乳。タクシーはチャイルドシート付きでないといけないので、当然、道端で拾うわけにはいかない。往路も復路も時間指定で予約するから自由に動けない。

思春期の私が今の私を見たら、顔をしかめるだろう。
そこまでしてお宮参りに行くことが、そんなに重要なことなのか、と。
過去の私よ。子の成長を祝い、そして願うことは、親にとって大変重要なことであり、喜ばしいことなのです。子にとってはそうでなくとも。

更に、最近の私は、季節のイベントや風物詩について、改めて調べてみたりしている。
思春期の私が今の私を見たら、確実に顔をしかめる。
過去の私よーー。

娘が保育園や幼稚園に通うようになったらイベントとは無縁ではいられないだろうし、旬の食べ物や風物詩に触れることは、娘の心と体を豊かにする一助になるだろう。
娘が「笹の葉〜サ〜ラサラ〜」などと、保育園で習った歌を歌い始めたら、食卓に素麺を出してあげたい。
そんな簡単なことで良い。

(七夕の行事食が素麺だと、調べてみて初めて知った。「行事食」という言葉も初めて知った。)


いいなと思ったら応援しよう!