子どもに与えるものより、子どもから与えられるものの方が大きい

不思議なもので、私が子どもに与えるものより、子どもが私に与えてくれるものの方が、大きいように思う。
(まだ親になって日が浅いのですが。)

「子どもは自分を成長させてくれるよ。満たしてくれるよ」と言う先輩ママの言葉を聞いて、「そうは言っても、絶対大変じゃん!」と思っていた。

実際に経験してみて、やっぱり大変は大変なんですけど、満たしてくれるというのは本当だった。

子どもが親に与える充足感って、コストパフォーマンスがものすごく良い。そのことに、日々感動している。

だって、子どもは何もしていない。息をしているだけ。寝て起きて泣いておっぱい飲んで排泄して、また寝るの繰り返し。
それだけで親を充足させる。(それだけって、赤ちゃんにとっては、それだけのことが大仕事なんだけど。)

子どもが何もしなくても、親は勝手に充足感を覚える。泣かれても、夜眠れなくても、苦労しても。
その苦労自体が軽くなるわけではないけど。
親は、子の顔を見るだけで、ある程度充足する。

子に、この感動を分かってもらうのは難しい。親がどれほど子を愛おしいと思うか、親になってみないと分からない。
決して子の視界が親より狭いとか、そういうことではなく。あまりにも見ている世界が違いすぎる。

こんなにも情報が非対称なことってありますかね。
大人になれば自然と分かるようなシステムにはなっていなくて、親にならないと分からないだなんて。
子どもを産むことが決してオーソドックスな人生選択ではない昨今において、私はこの気持ちを娘に一生理解されない可能性すらある。

でも、それでも良いと思えるから不思議だ。

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