母乳信仰への違和感
周りから、母乳かミルクかというのを、よく聞かれる。結構センシティブな話題だと思うのだが。
私が完母でやっていることを聞くと、大層感心する人達がいる。
私のことを「頼りない」と、度々くさしてきた母が、私が完母で育児をしていることを知ると、すっかり感心して黙るのである。
私の30年間の頼りなさが、たった1ヶ月の母乳でチャラになった瞬間、私は大きな違和感を覚えた。
この違和感の正体が、母乳信仰だ。
母乳育児の利点
日本の育児の世界において、母乳信仰があることを妊娠してから知った。
完全母乳(完母)、混合栄養(混合)、完全ミルク(完ミ)という言葉があって、完母に強くこだわる人が一定数いることを知った。
逆に言うと、妊娠するまでは知らなかった。つまり、これは狭い世界での信仰なのだということが分かる。
妊娠中は、そんな信仰に惑わされるのは馬鹿馬鹿しいと思っていた。母乳が出たら母乳でいくし、出なければミルクにすれば良いだけのことと思っていた。
しかし、いざ出産して母乳が出ると、嬉しいと思ってしまう。出続けてほしい、枯れないでほしいと不安になる。
勿論、ミルクだと金銭的な負担があるし、手間もかかるから、そういった理由で母乳が良いというのはある。
ミルクだと、毎回お湯を沸かさないといけない。授乳後に哺乳瓶を消毒しなければならない。母乳なら、赤ちゃんが泣いてから数秒で授乳でき、後片付けもいらない。
また、母乳の利点でよく聞くのは免疫効果だ。
母乳には、ミルクよりも多くの免疫成分が含まれていると言われている。赤ちゃんの成長に合わせて、その免疫成分も微妙に変化するらしい。そういった理由で、産婦人科や助産院が母乳育児を推奨していることが多い。
母乳はミルクと比べて消化が良いので、1日に何回あげても良いのも、親としては大変便利だ。
ミルクは3時間ぐらい空けないと胃に負担がかかってしまう。あげすぎると肥満になったりもする。
私は、お腹が空いていない時でも、なかなか泣き止まない時は母乳であやしてしまう。癖がつくと良くないと聞くが、困った時にはおっぱいを便利使いできる。
なぜ母乳を信仰するのか
母乳にことさらに執着するのは、合理的な考えに基づくものではないように思う。もっと感覚的な何かだ。
だって、ミルクで育てたら免疫がゼロになって病気になるとか、栄養が足りなくなるとか、致命的なことは起こらないわけだから。
母乳をあげたいと思うのは、母乳を吸わせることで、母親と赤ちゃんの肌が密着するからだと思う。
母乳育児は母子の愛着形成に良いと言われている。ミルクだと愛着が形成されないわけではないと思うが、肌が触れ合うことで愛情を感じることは否定できない。
実際、私は、母乳をあげる時の独特の幸福感があるから、辛い時も頑張れていると思う。
もう一つ。
日本人にとって、母親像というものは、おっぱいを出して赤ちゃんに母乳をやっている様子が想像されるのではないだろうか。おっぱいが母親の一種の象徴のようになっている。
それは、マリア像を想像する時に、その姿が、青いマントに身を包み、胸元で手を合わせているのと同じように。
以上のような理由で、ある一定の層に母乳信仰が根付いていると思われる。
これに追い詰められる母親は少なくない。
母乳育児は運に左右される
では、母乳育児をしようと思ったら、どういうことをする必要があるのか。
まず、妊娠中からおっぱいをマッサージして母乳を出やすくしておかないといけない。乳頭もマッサージして柔らかくしておく必要がある。
次に、出産直後に頻回に吸わせないといけない。吸わせないでいると、体が母乳を生成しなくなるから。出産直後の、座るのもやっとな体で。
乳頭を刺激されると子宮が収縮するので、下腹部に陣痛のような鈍い痛みが出る。
最初のうちは、赤ちゃんの吸う力が弱くて胃も小さいため、30分〜1時間ごとに頻回に授乳を続けないといけない場合もある。勿論、朝も夜も関係ない。助産師さんに聞くと、24時間ほとんど咥えっぱなしの子もいるそうだ。
赤ちゃんにも、うまく吸える子とそうでない子がいる。うまく吸えない子は1回の授乳に時間がかかる。ほんの少しも吸ってくれなくて、母乳育児を断念する人もいる。
おっぱいのトラブルもある。母乳が乳腺の中で詰まって乳腺炎になると、おっぱいがカチカチに張って40度近く熱が出る。
乳輪や乳頭が硬いと、赤ちゃんに吸われる時に切れてしまって血豆ができることもある。そうなると、授乳のたびに泣きながらあげることになる。
そして、頑張って吸わせたとしても、完母に足りるだけの量が出るとは限らない。
更に、今たくさん出ていたとしても、いつまでも出続けるとは限らない。
何の前触れもなく、原因不明で、枯れてしまうこともある。水分不足とか栄養不足が原因になることもあるそうだが、では水分や栄養を摂っていれば絶対に枯れないかと言うと、そんなことはない。
以上のように、母乳育児には努力が不可欠なのに、努力だけではどうしようもない運任せのところが大きい。
やりたいことをできるとは限らない
私は、できれば混合に移行したいと思っている。
頻回授乳になっているので体力的にキツい。1日に1回でもミルクにできれば、数時間休むことができる。
でも、哺乳瓶拒否になってしまったので、今から混合にできるかは分からない。毎日挑戦しているけど、哺乳瓶を咥えるとこの世の終わりのように泣き叫ぶ。もしかしたらもう哺乳瓶は飲んでくれないかもしれない。
人によって、できることが違って、やりたいことが違って、やりやすい方法が違う。
そして残念なことに、やりたいことができるとは限らない。
本当はミルクにしたかったけど、赤ちゃんがミルクを嫌がって飲んでくれないから母乳をやっている人もいるかもしれない。そういう人は、「母乳が出て良いね」と言われると、モヤッとしたり傷付いたりしているかもしれない。
でも、「母乳が出て良いね」と言ったその人も、母乳育児をしたかったのにできなくて辛い思いをしたから、本当に羨ましくて、ついそんなふうに言ったのかもしれない。
育児の世界に正義はない。
ただ、自分にできることをやるしかない。
誰もがそうするしかないのだ。