『BLUE GIANT』と私
今日の時点で4回視聴。
原作漫画は未読。
何回観ても同じところで泣いてしまう。
回を追うごとに驚きは薄まっていくものの、情熱にかっと胸が熱くなり感動してしまうのは変わらない。
今回は映画の感想というよりは私の過去のお話しがメインです。
彼らのエピソードに触れながら私の思い出にお付き合い下さい。
ご興味ございましたらどうぞ。
ゆっくりしていって下さい。
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≪宮本大≫
なんといっても主人公、宮本大のひたむきさに惹かれる。
強い光は良いものも悪いものも引き寄せるものだと思っているのだけど、大のそれは弱いもの、悪いものは置き去りにしていく、強くて速くて熱いすい星のように思わせる。
引き寄せられて同じスピードで宙を飛ぶのか、ついていけず離れるか。
「へこんでる場合じゃねえ、でっぱらねえと」厳しいセリフにそんなイメージをもった。
何かに一生懸命な人、どうしてこんなに惹かれるんでしょうか。
自分にもそんな時期があったなと思い返してみた。
ここから私の話し。
中学で出会ったある友人がとある楽団に入っていてトロンボーンを吹いていた。
すらっと背が高く肩までの髪は真っ黒。くせ毛でうねっており、顔が小さくて色白。言葉数は少ないが主張ははっきりしていて憧れの友人だった。
放課後、今日は週末のコンサートのリハがあるからとトロンボーンのマウスピースを持参してきていた。
口を真一文字に結びマウスピースをあて、ぶーぶーと吹き鳴らす。
が、私の知っているトロンボーンの音ではない。
これを楽器本体にはめてようやくトロンボーンの音になるんだよと丁寧に教えてくれた。
そんな時期にたまたま近くで他の楽団の演奏会があり家族で見に行った。
がががーーんと衝撃が走った。
大も作中家族で見に行っていてがががーんてしていた。
あの時の私の顔、こんなんだったんだろうなと映画の途中でふと思い出す。
そんな経緯があり地元で吹奏楽部のある高校へ進学することに決めた。
入部初日、楽器のパート分けが始まった。もちろん私はトロンボーンを希望。
先生はうーん、と困った顔。
先生の言うには私のぼってりした唇、身長150cm、手も(足も)短い典型的な小柄体系には向かないよ、と。
ががーん!私はトロンボーンがやりたいが為に偏差値の足りなかったところを頑張って合格したのに。
半泣き状態で決まったのがクラリネットだった。金ぴかじゃない。地味だなあ。
初めの印象はそんな感じだった。
素敵なホールで高らかにファンファーレを鳴らしてみたかったのだけどな。
けれどだんだんと音色に惹かれていき、自分でもいつから好きになったのかわからないけれどもすっかり没頭してしまっていた。
楽器は1日休むと3日遅れるんだよという先輩からのプレッシャーを与えられながらせっせと吹いた。学業以外は楽器のことで頭がいっぱいになった。
中学生時代からの経験者と混じりながら足を引っ張らないように、目の前の譜面と自分でいっぱいになった。
元旦と盆の1日が休みの日でそれ以外のテスト期間中は自由参加。
私は休みたくなくてほぼ毎日吹いていた。
とても満たされていて充実した3年間。
今でも振り返ると自信の源になっている。
こんな経緯があって、大の気持ちとシンクロする部分が多く、感動したのだと思う。
練習場所を見つけられて思わず駆け出す大。きらっきらしてまぶしいー。
私は高校を卒業してからは楽器を購入してOB会に入り、港でぼーぼーと吹き鳴らし練習した。始めは恥ずかしさもあるのだけれど練習場所がとにかくなくて。
えええい!と音色に耳を澄ませているとああ、今ちょっと揺らいでしまった、とか息のスピードが足りない、とか考え始め、すううっと集中できるようになった。
1年後OB会は解散になり、同時に楽器も手放してしまったことがとても心残り。
だから楽器を一日中メンテナンスして満足そうに磨き上げている大を見ていると心からうらやましく思え、あの日に帰りたくなった。
大ほどの情熱があったはずなのに、どこに置いてきたのかな。
きっとその情熱の一部が今のいろんな推し活につながっているのだと思う。
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≪玉田俊二≫
ドラムの玉田。彼にもシンクロする部分がある。周りは経験者が多くて高校から始める人の方が少なかった。けれどやってみたい。というぴかぴかの気持ち。
私の初めてのステージは地元のテーマパークオープンに合わせての式典だったように思う。
どきどきして視点が定まらなかった。
指が震えてうまく動いてくれない。
あせり、楽譜を追えなくなる。隣の経験者である同級生が気づき、間奏の合間に指で示してくれた。
玉田の初ステージ、あのはらはらと悲しい気持ちがシンクロした。
そして帰宅後毛布をかぶり必死にバケツを叩く玉田。
やりたいから、続けたいから、俺がんばるよ!という明快さにあの頃が重なる。
「上手くなっている」と声をかけてくれる人はいなかったけれど、色んな曲が吹けるようになっていくのはとても楽しかった。
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≪沢辺雪祈≫
雪祈にシンクロした部分も。
私は高校3年生になり、担当するクラリネットが2本になった。B♭管とE♭管。
当時は気が付いていなかったのだけれど卒業から10年たったころ、当時の同級生とばったり出会う機会があり、あれは実はとても悔しかったと聞いた。
彼女は小学生のころからクラリネットを習っており、当時の吹奏楽部の顧問の先生に憧れてこの学校に入ったらしい。
楽器を二本任されるというのはとても信頼しているからこそなのだよ、とその時に教えてくれ、青くなった。そんなたいそうなことだったのか…。
私の学校では卒業前に自動車免許の取得を可能としていた。3年生の夏休み明けあたりから年齢制限をクリアしていたり就職が決まったりした人は次々と免許を取りに行っていた。
私もすぐ就職の予定だったため免許を取りに行きたいのですがと顧問の先生に相談しに行った。すると「それなら二本任せることはできないが良いか?」と深いため息をつかれた。
この時はなぜそんなに暗い表情をされるのか意味が分からなかった。
その時の表情がすぱーんとよみがえり、ああ、なんてことを、と後悔した。
結局その時は訳がわからないなりに担当をはずされてしまうことが悲しくなり、免許を諦め、そのまま担当させてもらえることになった。
それまでは没頭していた姿を信頼してくださっていたのだと思う。
それを二の次にしてしまおうとした傲慢さにがっかりされたのだと思う。
「内臓をひっくり返す」ほどの全身からのひたむきさを信じてくれていたのに。
思えば上手い下手でレギュラーを選ぶ先生ではなかった。
個人的に話したこともほとんどない。だけど私の基礎練習であるロングトーンを毎日欠かさない姿勢を褒めてくださっていたと10年たったその時に聞いた。
申し訳なさでいっぱいになった。最初から最後まで真摯に向き合えば良かった、がっかりさせて申し訳なかったと思った。
雪祈のばっしばしとマイナスの指摘をもらうところ、心が痛くて苦しかった。
うえってなりそうなくらい。
あの時もっともっと、からっからになるまでやり切れば良かったな。
まだまだできたはず。
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≪鑑賞後にえいやっ≫
もう一度クラリネットをやりたい。
そう思って夫に告げると君はまた何かにとりつかれたんだねえと笑われた。
少し落ち着きなはれ、と。本気ならいつでも出来るからまずは色んなことをやってみたら?とコンサート行きを提案された。
そんなわけもありこれまで以上に映画やライブ、コンサートに快く送り出してくれるようになった。
ある日たまたま通りがかったレストラン。あと20分後にJAZZの生演奏が始まる張り紙があった。一瞬ためらったけれどえいやっと入ったところ最前列に案内された。
震える。
もう酔っぱらわないとだめだと思いカクテルをぐいっと飲んだ。まったく酔えない。
少し注文したせっかくのお料理もなかなか飲み込めない。
だけど生演奏が始まったころはうきうきしてきて泣けてきた。演奏は25分ほどだったか。あっという間だったけど飛び込んでみて良かった。生演奏ってほんとに良いなあ。
またある日は、ブルージャイアントの上映迄あと3時間。
どうしようかなとネットを見ていると徒歩15分ほどのところにJAZZ喫茶があることを知った。後で知ったのだけれど老舗で全国的にも有名な場所らしい。
到着したものの薄暗くて中の様子がわからない。
うううむ、と思うもまたしてもえいやっと飛び込むと初老の店主はカウンターで新聞を読んでいた。
ゆっくりと立ち上がってゆっくりと新聞を畳みだす。あ、あの…と言いかけた時、どこでもどうぞと声をかけて頂いた。
店内は薄暗い。棚にレコードがびっしりとある。何枚かは正面を向いて飾られている。
どこかの生演奏のチラシがカウンターに貼られていた。
5.6人座れそうなL字型のカウンターとテーブルが5つくらい。二人で座るのに良さそうなところ、5人くらいで囲めそうなソファーもある。
困った。どこに座るのがいいのかしら…と、入口近くに大きなスピーカーを発見し陣取る。
ネットではレコードをかけていると書いてあったがCDのようだ。
それでも家やイヤホンでは聞けないびりびりとした音がとても気持ちよかった。
レモンスカッシュをお願いし、しばらくするとぞろぞろと色んな方が入ってきた。気分が落ち着いてくる。ずっと浸れる素敵な空間だった。
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《最後に》
映画『BLUE GIANT』に出会わなければ行ってみたことのなかったであろう場所にえいやっとすることができた。
他にも、大好きなあの4人に出会わなければ出会えなかった人もたくさんいることを思った。転勤族の私はなかなか友人を作る気になれずにいた。
けれど今は自ら今度は一緒に行きましょう、ここが素敵だったよと色々行動に移せるようになった。
ちょっと前の私が聞いたらまさかそんな、と驚くだろうな。
夫も私の変化に驚きを隠せない。
こういう行動ができるようになったのも元をたどればあの4人さま。
『King Gnu』の存在だ。
彼らの経緯もJASSと重なり胸をいっぱいにする。
そもそも『BLUE GIANT』を観に行きたかった理由も彼らの中にある。
あああ音楽っていいな、映像っていいな、生演奏もいいなあ。
元気をたくさん貰えています。
King Gnuについての話しは長くなるので改めて書けるといいな。
その時もしご縁がありましたらまたお立ち寄りください。
今回も大事な時間を割いて下さりありがとうございます。
まるいち
🔸ちなみに吹奏楽部で一番の思い出の曲はこちらです🔸
お時間ございましたらぜひ
ドラゴンの年 The Year of the Dragon
ーフィリップ・スパーク