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医師とのすれ違いの根本に迫る

ツィッターで無数に毎日現れる医師への不満や苦情があり私自身の経験がありついに医師のエッセイを読み医学史書まで調べ始めました。
何を調べているかというと「医学は反人間的なのかどうなのか」結論を出そうと思ったからです。人類と医師という大きなテーマで、単なる自分のトラウマや不満の解消を越えて決定的な結論を出したいという野望です。

何冊かの1950~60年代の産婦人科医師のエッセイを読んでいます。内容を紹介したいのですがまずは徒然にメモを書きます。


医師は治療をする立場ですが、観察もする立場にあります。また老若男女 職種地位などさまざまな人に文字通り身体に触れる立場です。しかし病気の人に偏ってはいます。病気で苦しむ人を見る 苦しみに陥った成り行きから人の愚かさも観察します。そして自分が生死を握るわけで自分の診察いかんで運命が左右されていくのを見ますから 自分が人を左右するという全能感覚を持ってみたり また自分の失敗が取り返しのつかない人生に影響をあたえてしまうことを繰り返すことから自分の無能へのあきらめとごまかしのテクニックを身につけていくことにもなります。
これは医師の不正を責めているのではなく患者を殺しても自分は明日もまったく同じように生きていかなければならないのですから 殺しても自分は生きていける社会的なスーパー特権を持った存在、そういう全能感も持つかもしれません。

さらに人々の身体への無知を諭し教育するという知性に於ける優越感も持ちます。

また治療の全能感とは別に身体を多数比較観察することで人間そのものを知って自分なりに上下の評価をつけ 良い身体悪い身体と評価し どのような身体が美的であるかという耽美的な視点も持つことになるわけです。

産婦人科などは性器を見て骨盤など内臓までも見透かしてそのうえでどのような身体が美的であるか 世の人々とは違って顔が整っているとか足が長いとかそういうものとは違う基準で判断ができるようになったりします。


今回はこの書籍を読んで刺激をうけて書いています。
所謂性欲とは違うけれども人間の性的な意識から離脱したわけではなく 女性に魅力を感じる普通の人間であり どういうわけか診察中はその感覚がオフとなり医学の思考が支配するが ひとたびそれが切れると女性という見方がオンになるという不思議な頭になるらしいです。

医師たちのそのようなマインドに患者がついていけるわけがありません。恥ずかしいという感覚を医師は冷酷に破壊していきます。
私たちはお前の身体を知識の上でも物理的にも支配する。それによって治療が可能になる。一時的にすべてを私たちがコントロールする。命の際まで引っ張っていきギリギリの線で命を吹き返させ回復させる。そのようにすべてを支配する私には羞恥は意味はない。恐怖感も意味はない。痛みは感じるのが当たり前であるから治療の参考として聞くだけだ。

そして私が観察するに医師の異常性は次のようなことです。
1.正常な身体を見ることの方がはるかに少ないため人間が病気か病気の可能性として見えてくる。健康ということが理解できなくなる。
2.医学の膨大な経験知識に圧倒されるためそれが間違っているなどと疑いもしなくなる。その結果治療の予想どおりにならないとお前の身体が間違っている、というように考える。
3.身体に疑いを持つようになる。自分が治療してもこの体質ではうまくいかない。私を困らせる。困った患者だ。私を苦しめようとする嫌な患者だ。というように患者に狂った被害妄想を持つようになる。
4.全能感から一方的に患者を誘導したり指導したりするようになる。
5.唯物的であるのに不思議なことによって治癒が起きることに頼ったりしてご都合主義で日和見主義的になる。
6.失敗は許されないと思っているが失敗はある。その矛盾のために不機嫌で冷酷になる。嘘もつくようになる。人間的に表裏ができる。

こういった医師と普通な会話ができるのかどうか、ということですね。これらは個人的な人格の問題というより医学の特権から医師になった人に起きてくる一般的な出来事ではないかと、思うのです。
youtubeで親切に一般の人々にむけて語っている内容を聞いてみてください。知らなかった病気の知識などは役立つでしょう。その時の医師が話し始める目的も注意してください。

1.こんな怖い病気がありますよ。医師にかかってください。→ 患者を病気とみるという医師の習慣が現れていないでしょうか。
2.産婦人科なので性のことについて教えます → よく知っているという全能感を持つようです そのわりに男女のかかわりが人の成長と人生に持っている重要な役割を意識しておらず、生殖のためとか欲望の満足のためというような理解でおわっていたりします

まだまとめきれません。大きなことですし、私は医者の経験がないのでもっと明確に語ってくれる経験がある方がいたらよいのですが。
個人の性格の問題ではなく人間そのものの生み出した医療の姿は優生思想も普通にいつも保持しているようであり 支配被支配という構造を持っていますね。
そんななかで共感をもつ医師と出会ってよい関係を持っていきたいものではあります。

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