「そのままでいいよ」は牙を向く
5月1日
気がついたら秘密基地の下のカフェスペースで23歳になっていた。
多動で中途半端で、一発屋のような男は、いよいよ「リアル子ども部屋おじさん」へと一歩足を踏み出している。
寒苦しい部屋で寝たりして、外で1人でソロ焚き火ばかりしているせいか、23歳になって早々鼻水が止まらない。
誕生日から2日目にして、左の鼻が小石でも入っているんじゃないかってくらい、つまりすぎている。いつも以上に全く集中できない。
秘密基地も自粛だし、5月末では場所を離れるし、プログラミングは難しいし、ついてないなぁ。
あの時のままで
おかしいなぁ。
中学くらいまでは真面目でリーダーシップを取りたがる、真面目系バカの模範モデルのような人間であったのに。
それくらいの方がちょうど良かったのかもしれない。
人に好かれようとして、いい子でいようとしたら今楽だったのかなぁ。
だからこそ、そんな時に僕は「そのまんまでいいんだよ」と言われたかった。
そしたら、いい子だね〜って言われて、知っている世界だけ見てみて、人前に立たないでいいし、何か大きな責任とかそういうのも追わないでいいのかもしれない。
あの時のそのままの自分でいたかったなぁ。
なんていったら嘘である。
でも、周りがバカにするだろう、周りがおかしいというだろう。
そう思うから変われなかった。
周りからしたら、普通であったかもしれないが、僕の内側は最悪であった。
みんなみたいになりたかった。
正直、今の状態はあまりにも変わりすぎであるけども。
ネットに落ちているフリー素材並に、人様に僕の情報をばらまき恥を晒している訳で。
ようやく、僕が僕に追いついてきた。
特性と個性
僕は、最近になり「特性」を持っている的な事を第三者から言われた。
秘密基地の前には、ゴミ袋が溜まったままだし、バイクの鍵をしまったつもりが差しっぱなしな事が2日で10回はあるし、たくさん持っていたはずの割り箸が行方不明だし、タスクがこなせない。
それは「個性」とも言えるし、「特性」と言えなくもないような。
しかし、誰しもが「個性」と「特性」の紙一重でもがいているし、悩んでいるのである。
「あ〜うぜぇ!」ってなる。
けど、どれもこれもその自分「個性」と「特性」のせいである。
みんな、その1人1人が持つ「個性」と「特性」の間でイライラして、悲しくなって、そして楽しんでいる。
そのままで
僕が、最近流行りである発達障害じゃね?
って話になった時の記事が以外にも反応が多かった。
「そのまんまでいい」という優しいコメント。
けど、通帳無くして、電車を止めて、優柔普段で飽き性で、多動で集中力がなくて、安定した職にもつけなかったような社会不適合者。
果たしてそのまんまでいいのだろか。
いつまでも、いつまでもそのままでいいのであろうか。
いや、そんな訳ない。
「学校に行きたくない」そんな事を小2で言っていた。
僕は「そのままでいい」とは言われずして、学校にい行き、それでも、尚行けないから学校に親を連れて行った。
けど学校に行った事で、ある程度人とコミュニケーションが取れる訳である。
今になると、「そのままでいいよ」という言葉がなくて良かったとも思えるのだ。
もちろん、いろんな子どもたちを見てきたから、それは状況と場合にもよるけどね。
そのままコンプレックス
大概の人は、「そのまま」でいてはいけないと思っている。
だからこそ、不安を口や言葉として出す。
「このままでいいのかなぁ」なんて不安に思う。
そんな時に言われる、「そのまんまでいいんだよ」は、申し訳ないくらいに優しすぎる。
そのままじゃいてはいけないと思うところに、「そのまんまでいい」と言われてしまうと、益々自分が思うダメな部分が露呈して、不安とギャップを加速させる。
僕のような特性を持つような人にとって、そのワードというのはなんとも言えない罪悪感のようなものになる。
電車止めても、無くしモノしまくって、時間管理できなくてもそのままでいいのか?と。
そのままだから、秘密基地も終わったのである。
コロナのせいでとかではない、自分があの時から、そのままであったから終わるのである。
自分が違和感を持つなら、そのままではいけない
自分がおかしいと思うなら、そのままではいけない。
僕はまだ、あの時からそのままで、変わっていない。
今日も「個性」と「特性」という紙一重の場所で、モヤモヤして生きる。
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