愛すべき堕落人生
人間とは堕落するものであり、それこそが人間の真の姿である。
そういうことなのだ、と安心する。
約80年前に書かれたものだが、今の世の中と変わらない。
政治の世界や芸能界。
野党は与党の堕落を攻撃する。
週刊誌は芸能人の堕落を攻撃する。
「正しさをふりかざしているあんたも、同じ状況になれば欲望に負けて同じようなことするだろ」といつも思う。
人は人の堕落に興味を持ち、そして安心する。
堕落はダメなものであり、でも魅かれるものである。
自分のことを振り返れば納得できる。
自分の周りの人間をみても実感できる。
子供は勉強せずに遊んでばかりいる。
勉強し始めたかと思いきや、スマホで友達と電話しながら、タブレットで動画を見ながらやっている。
嫌いな野菜や魚を食べず、肉や唐揚げばかりを食べる。
食後にはすぐにお菓子を食べ始める。
いい加減にしろと叱りたくなるが、自分の子供の頃を思い返せば、自分も同じようなものだったと叱るのを思いとどまる。
妻もそうだ。
太った、太った、どうしよう、と心配しながらお菓子を食べる手は止まらない。
お腹が出てきて「もうヤバい」といいながら、スーパーに行けば必ずスイーツを買う。
家の中が散らかっているとイライラするんだけど、一向に片付けようとしない。
小物を片付けるための容器を買っても、買ったことに満足して終わり。家の中の荷物が一つ増えただけだ。
自分だって堕落の塊が生きているようなものだ。
詳細は恥ずかしすぎて言えないけど、とにかく堕落とともに生きている。
理想の夫、理想の父親、そんなものには程遠い。
こんなんでいいんだろかとよく思う。
でも堕落のない人間なんてつまらない。
やることなすこと全て完璧。
自制心をしっかり持っている。
頭もよくて人に優しい。
自分よりも他人の幸せを優先する。
スイーツが食べたいと思っても、健康や美貌のためだと、思いとどまることができる。
家の中は整理整頓、清掃が行き届いていてゴミ一つ落ちていない。
そんな完璧な妻でなくて良かったとつくづく思う。
妻だって私が堕落の塊じゃなかったら、つまらないだろうと思う。
あぁ、愛すべき堕落人生。
これまでもこれからも、ずっと一緒に歩んでいきたい。