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【実録】延命拒否。治療と寿命の全うの狭間で・・・[1]

誰もが経験する親との別れ。
植物人間のようになった実母が残した遺言の手紙には「延命拒否」をひたすら書き記していた。

もちろん常日頃、延命拒否の話をしていたことも事実。

何故なら、自分の母親(私の祖母)を8年も介護してきた経験から家族に同じようなつらい思いをさせたくないという思いからなのだ。

因みに、私も祖母の介護には一役買っていた経験があるのです。
ちらっと自著の【「39歳で結婚!40歳で初産した私」amazon
電子書籍】にも書いています。

延命拒否!これを履行するにあたって家族が選んだ道とは・・・
まだ進行形でありますが、備忘録も兼ねてここに書き残したいと思います。
興味のある方、今私と同じ境遇の方、是非お読みいただければと思います。

それは突然やってきた

誰もが経験する親との別れ、歳を経るとともにいつかはやって来ると思いつつ、いつかがわからないから当分はないと思ってしまう。
いや、思いたい・・・そう、まだ先だと思いたかった。

でも、ある日それは突然にやってきた。
9月の末に85才になろうとしていた母。

その矢先の出来事だった。

これまでに早期発見が2度。胃癌に脳梗塞。
どちらも長年母を見てくださった町のお医者様が、小さな異変を発見し、総合病院との連携のお陰で母は事なきを得た。

当時の本人は、入院する事でリフレッシュでき、しかも入院保険金が下りてくるからある意味ウハウハのようだった。

ところが、今回はそうはいかなかった。

2年前、一人暮らしなので、初期とはいえ脳梗塞を発症した後、毎晩夕飯だけは歩いて5分の娘である我が家に食べに来てもらっていた。

本人は面倒くさそうにするが、こちらから実家に行ってられないからチェックを兼ねて夕飯を強制的に一緒に食べる事にしていたのだ。

友達と集まって外食するとか、家でみんなで持ち寄りで食べるとか、何か特別なことがない限り毎日やってきていた。

そして、あの日が突然来たのだった。

前日、母が、「明日は子供が夜、家にお習字をしに来るから御飯はいらない、適当に食べておく~」という。

「じゃぁ作ったものを届けようか?」というと、「食べないといけない冷凍食品がわんさかあるから、それを片づけたいのでいらない」とのことだった。

なのに、なのに!!

その日、インターホンがなって出てみると、カメラ越しに母が映っているではないか!!!

「あれれ?夕飯、母の分がないやーん、やばーい」と叫びながら、慌てて作った夕飯を3人前から4人前に配膳!!

プラスもう1品作らないと足りな~いと大慌て!

大きな独り言をいいながら、とりあえず母を迎えると、母は笑いながら何かを話す。

「ん??、何言ってるかさっぱりわからない!?」
「子供は早く来たのね?夕飯食べてないのね??」
と私が問うと・・・。

母は更に大笑いしながら言葉を発する。
「〇✕▲●×▲〇⦿□✕◇????」

なぬ???宇宙語???

その瞬間、サーと血の気が引いた!!
脳梗塞が再発!!!???

これは脳に何かが起こっているとしか思えない!!

2度、母を救ってくれた町のお医者さんは1年前に入院されて引退されていた。娘さんが受け継がれていたものの、その日は休診日。

大阪市内の救急をググったら、市の電話相談が出てきたので電話したところ、問診がすぐに行われた。
結果、救急車をむけるので絶対に動かせないでください!と言われた。

えっ!?そんなに悪いの?

自分で運転して救急へ連れて行こうと思っていたくらいだったが、想像以上にどえらい状態になっているようだった。

そんなに深刻なのか・・・
身体は元気そうなんだけど・・・
と、改めて驚く私であったが、母は何かわからないけどニコニコしていた。

というよりは吹き出しているように見えた。自分の発する「音」に笑えてしまうという感じ・・・

今思い返せば多分母は、自分が何か言おうとしているのに聞こえる言葉が意味不明なので、おかしいと笑っていたのではないだろうか・・・と思う。

5分後救急車が到着。

救急隊員に通っている病院、もしくは手術をしたことがある病院を尋ねられたので、地域の総合病院を告げると、そこが受け入れてくれることになったので診察券と保険証を持ってきてほしいというので、それを取りに行くことに。

そのやり取りをしている最中、母は隊員の方に、「ありがとうございます。大丈夫です。おります。」を連呼していた。

あれ?さっき言葉がわからないような宇宙語を話していたのに今は普通にしゃべってる???

ところが、隊員の方が、「動いたら駄目ですよ。お名前を教えてくださーい」と問うと

母は「・・・・・」

隊員「お名前おしえてくださーい」

母「・・・・・」

言葉が出ない母、目を白黒させている。

名前については先に私が隊員の方にお伝えしていたので隊員の方は知っていたのだが、本人がどこまで状態が悪いのか??の確認で尋ねてくれてたのだった。

隊員の方は「とりあえず病院に向かいますので、娘さんは保険証と診察券をもって救急窓口に行ってくださいね。」

と言われるので、私は救急車に母を残して、母の保険証を探しに実家にダッシュで向かった。

救急窓口には30分遅れで着いた。

先生からのお話を聞くまで約3時間。待合で待った。

先生から呼ばれる頃、母は既に娘の顔すらわからない状態までなり果ててしまっていた。

こんな状態なので当然の事、母は入院することになるのだが、入院するためのベッドに母を乗せ換えさせようとした看護師さんを、母はその手を振り切り「大丈夫です!帰ります!!」と何度も連呼し、ベッドを降りようとしたのだった。

男性看護師さんの手を振り切るほどのバカ力をだして。

この時点では、脳出血をしていても体に不具合は無かった。
ただ言語機能をやられてしまって失語症になっていたそう。言葉を発していたけど、周りの人間の言葉は理解できなくなっていたそう。

なぜか大丈夫帰りますと言えてもそれ以外は言えない。
最終的には何も言葉は発せなくなってしまうわけだけど・・・

脳梗塞ではなく、脳腫出血でまだそんなにひどくはなかったので身体は全く問題なく動くのだった。
だからかバカ力がでるようだった。

「娘さん!ちょっと手を貸してくださいっ」と看護師さんに声掛けされ、母を説得しようとしても、既に母は私が誰なのか?認識できなくなっていたし、私の助っ人など無意味だった。

しかも、失語症であるから(のちの診断により)コミュニケーションができない。
私を含め周りの人との目を合わせることもしない、ただひたすらベッドから必死に降りようとするのだった。
バカ力でもって・・・

看護師さんに止められ、ベッドから降りれない、帰してもらえないことに母は怒りが爆発!ひたすら「帰ります。大丈夫です」と悲壮感漂う叫びを繰り返すのだった。

結局、男性の看護師さん二人と女性の看護師さん二人、計4人でもって入院病棟へ移っていった母。
不安な気持ちで見送るしかなかった。

あとで実家に行くと、子供の来る時間のメモが残っていたのを発見した。

多分子供が来るからと言う事を思い出して、帰らなければならない!とそれだけが頭にあったのではないか?
もともと責任感の強い人だったから、何が何でも帰らなくては!と思ったのだと推測するのだった。

先生の話では、以前起した脳梗塞を防ぐための血をサラサラにする薬が災いして脳出血が止まらなかったという。

言語機能の部分がやられたのでこちらのしゃべっていることは理解できないし、自分がしゃべることもできなくなる失語症になっているとのこと。

わずか数時間で娘の顔すら認識できなくなっていた。

言語脳がやられているのでまだ足腰は問題なく動くようで。結局入院初期は普通の食事を摂ることもできていた。

が・・・
1週間後、先生の状況説明を受けた日の翌日、脳痙攣をおこした母。
あっという間に脳の半分まで出血がおこり、とうとう植物人間のようになってしまったのだった。

そして、これを機に、現代医療の闇を垣間見ることになったのだった・・・

と、いうことで今回はここまでのお話しにしたいと思います。

現代医療の闇というのは私の主観でありますので、ここは賛否両論あると思います。

この後のお話を読んでいただいてそれぞれ皆さんが感じられることが違うと思うので、前もって主観とお伝えしておきますね。
では、この続きは後程に。

ここまでお読みいただきありがとうございました。




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