わたしとピアノ(後編)
さて、後編。
"私が音楽を続ける理由"
です。
※非常に長くなっております※
私にとって音楽そしてピアノは
"無くなってしまったら困る"
そんな大切な存在です。
過去には
何度も辞めようと思う瞬間が
沢山ありました。
そんな私の音楽人生での
挫折とも思える
3つの過去を
お話したいと思います。
1.腱鞘炎
ピアノを弾いている人でも
弾いていない人でも
腱鞘炎になったことがある人は
いらっしゃると思います。
私が腱鞘炎になったのは
小学3年生の夏でした。
1日5回弾く事すらも嫌がっていた
小娘は
平日は3時間、土日は7〜8時間近く
何かに取り憑かれたかのように
暇さえあれば常に練習している
阿保娘になっていました。
もともと力みやすく
手も小さい為
あらゆるところに負荷がかかりやすい。
それを長時間続ける。
今思えば、
腱鞘炎になって当たり前の
生活を送っていました。
湿布を貼ったり
整形外科に行ってリハビリを受けて
痛みを騙しながら過ごす日々。
それでも治ったわけではない腱鞘炎。
ついに小学6年生の冬。
"ピアノが弾けなくなりました"
ピアノだけでなく、
えんぴつやお箸さえも持てない。
部屋のドアも開けられない。
そんな日常生活すらも
まともに送れない日々が続きました。
絶望的な毎日でした。
3ヶ月程度で
日常生活はまともに
送れるようになりました。
が、
ピアノに関してはそう簡単に
弾けるようにはなりませんでした。
半年経って徐々に練習を再開させ、
満足のいく
練習ができるようになるまでには
1年近くが経っていました。
ピアノがまともに弾けなかった
1年。
弾けない日々に対する苦しみ。
今まで通りに
弾けなくなるかもしれないという
見えない未来への恐怖。
そしてこの弾けなかった1年のせいで、
チャンスが巡ったときに
掴むことができなかった悔しさ。
真剣にピアノを辞めるか悩んだ
瞬間でした。
2.いじめ
保育園生の時にできた
初めての友達、
親友だと思っていたその友達に
いじめられました。
原因は"ピアノ"でした。
同じ時にピアノをはじめた親友は、
なんでも卒なくこなす事ができる
器用なタイプでした。
それに比べて私は、
人の倍、倍々やって初めてみんなと同じ
スタートラインに立てるようになる。
そんな不器用タイプ。
でも
そんな親友にも弱点がありました。
それは
"練習をしない"
そんな彼女と小学3年生の時
初めてクラスが一緒になりました。
そこで問題が起きたのです。
『クラス伴奏問題』
練習はしないけど、
私よりも上手に難しめの曲が弾けてた
過去にすがる親友。
練習を続け
着実に実力と自信をつけた私。
クラス伴奏を
先生から頼まれていた私に、
親友は
『もちよりも私の方が上手に弾けるから
もちは弾かなくていいよ』
と宣戦布告。
そこで急遽開かれた
クラス伴奏オーディション。
結果選ばれたのは私でした。
そこからいじめは始まりました。
私の努力は馬鹿にされ、
ピアノとは関係のない
ありもしない嘘を広められ。
なかなか友人関係を築くのが
苦手だった私は友達も少なく
勘違いもされやすかった為
沢山の人に嘘を信じられてしまい
気づけば
クラス全体からのいじめへと
変わっていってしまいました。
そしてそれは
中学2年生まで続きました。
5年間。
何も悪いことをしていないのに
馬鹿にされる毎日。
親友に裏切られ
虐められる日々。
ただただ苦痛で悔しく。
ピアノなんかやらなきゃ良かった。
そう思ってしまうほど辛い日々でした。
3.母の再婚
小学3年生の頃、両親は離婚しました。
なにが原因だったのかは
よく知りませんが、
私は母に引き取られました。
父は平日も帰りが遅く
土日の休みも1日中寝てばかりで
関わりがなかった為、
私的には親は母しかいない
という様な感覚でした。
が、
やはり金銭面において
父がいなくなるのは
困りました。
離婚してからの母は、
生活のために
そして
私にピアノを続けさせる為に
休む暇なく働いていました。
自分のために
母が頑張ってくれてる。
だから、自分は
母の為に
ピアノを頑張らないといけない。
私がピアノを頑張る理由は
母の為という思いが
根底にあったのです。
そんな母から
"再婚しようと思う"
と言われました。
高校2年生の5月でした。
再婚することによって、
母が幸せになるならば良いな。
楽になるなら良いな。
と子供ながら思いました。
同時に、
馬の合わない母の過保護すぎる
監視の目が
少しでも緩和されるのでは…!
なんて思ってしまったり。汗
それでも、
今まで母と2人で生きてきた
私にとって
新しい家族が増えることは
なかなか受け入れられませんでした。
そして、
母は再婚と同時に仕事を辞めました。
別に悪いことだとは思わなかったし
今も思ってはいません。
今までずっと自分の為に
そして生活のために
働いてきてくれたことへ
感謝の気持ちは忘れたことは
ありません。
それでも私は
母が自分の為に頑張ってくれてる
だから
自分も頑張らないといけない。
そう思ってきたし、
母からもそう言われてきました。
なのに。
気づけば私は
頑張る理由を見失ってしまいました。
これが私の人生で3つ目の挫折です。
この3つ以外にも、
どんだけ頑張っても結果にならない、
頑張りすら認められない、
なかなか成長が見られない停滞期
など…。
沢山の挫折を味わってきました。
それでも私が今も続けている理由は
"音楽" そして "ピアノ" が
私を救ってくれるからです。
音楽が原因で傷ついた心は
音楽でしか癒えません。
どれだけ挫折を味わおうと、
それを乗り越えるには
音楽に必死に向き合うしか
他に方法はないのです。
努力は自分を裏切らない。
結果はついてこなくても
努力した時間、
向き合ってきた時間は
何よりも自分に自信を与えてくれます。
そして、
何かに向かって努力すること
何事にも真摯に向き合う姿勢は
音楽だけでなく
生きていくために必要な力になります。
それを私に教えくれたのは
音楽、そしてピアノです。
性格、人柄は音に現れると
聞いたことがあります。
"常に良い音を出したい"
だからこそ私は
優しい人間であろうとするし
謙虚に生きていきたいと思う。
音楽は人を、
そして私を成長させてくれる。
今の私がいるのは音楽のおかげです。
だから私は今日も必死に
音楽に向き合い
人として成長し続けたい。
これが、
私の音楽を続ける理由
です。
非常に長くなってしまいました(汗)
自分がこれから
音楽を続けていくにあたって
悩んだ時、
自分の思いを再確認できるような
noteを書きたいなと思い
始めました。
そして、
"自分のことを知って欲しい。
でも
自ら自分のことを話すのは
とても苦手。"
だからこそ、
何かがきっかけとなり、
この記事を読んでもらえる
というこの場所に
自分の思いを
書ききることができたこと
嬉しく思います。
拙い文ですが、
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
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