夏の終わりと巡るものと巡らないもの
家を出ると思っていたより外は暑くなくて、ヘッドホンをして(しとるやんけ)、自転車に跨っても、汗はかかなかったし、ヘッドホン越しに蝉の声は聞こえなかった。
一年ずつ記憶を巻き戻しながら、それぞれの秋に聴いていた曲を聴き始めてみると、なんとなく、今は会えない人にまた会えるような気になって、でもやっぱり会えないということを体が理解していて、なのに鼓動は一定なままで。
10月からaiRの活動を本格的に始めるつもりでいるけれど、10月まで待ててしまっている自分が、どこか他人のような気分になる。これが大人になるということか、と思うことは小学生の頃くらいからあったはずだけど、本当に大人になりつつある今になって、そのことへの寂しさが薄れていっているのが、一番つらい。
本当は、別にもう演劇なんてどうでもいいのかもしれないと、先を行く人たちの背中をスマホの画面越しに見ながら、思う。
この思いは、何年経っても、どうか巡っていって欲しい。