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【2024年12月11日】一般質問って?

 いまだに私はどういう一般質問が望ましいのかがわからない。

 ベテラン議員も含めて議員によって一般質問がまちまち過ぎるので、正解が一つでないのはわかる。「まちまち」というのは、方法というか位置付けというか意図というか。ともかくテーマやジャンルのことではない。

 他の議員の一般質問を聞いていて、「ここでわざわざ聞かなくてもいいんじゃない? 」「これを聞いてどうするの?」 と思うこともあり、それは私のめざすところではないが、しかし、私の一般質問の形が正解だとも思っていない。

 正直言うと「私のやってることに意味あるのか?」と自問自答を繰り返している。とくに微妙に違和感のあるあっさりとした答弁が返ってきたときに、自問自答する。

 そんな中、今年の6月議会の一般質問は異色で「ここがおかしいよ」という問題指摘系。このときだけは質問意図もわかりやすいものだった。(今日の一般質問も大項目2「資源ごみ」も、答えをもらって終わりのわかりやすいものだった)

 そのほかの一般質問を振り返ると、結構答えにくいものも多かったのではないかと思う。私には、「考えてもらいたい」という意図がある場合も多い。一般質問では、執行部は答えないわけにはいかないので、難しい質問であっても必ず答えてもらえる。

 これが日常会話の中だったら「それは難しい問題ですねえ」とお互いに腕組んで終わりになりかねないところ、とりあえず答えが返ってくるのが一般質問のいいところだと思う。

 質問すれば、知ってもらえる、答弁に際して、調べてもらえる。これらも私が一般質問に感じている意味で、「知ってもらえる」は半分は市民に期待している。私が傍聴を呼びかける理由である。市民が聞く意味について、よく考える。

 執行部にとっての一般質問の意味を知りたいと強く思う。良い返事がいただけるかはともかく、結構考えてくれているのだなと思ったことがある。「議員にとっての落とし所はどこなんですか?」と聞かれたときだった。それは個々の質問そのものではなく、個々の質問から何を導き出したいのか?という質問だった。

 ただ不思議なのは、一方で「落とし所」がわからない一般質問も結構見受けられるからだ。

 私は職員に「この数字は質問で聞くのではなく、議員が語ったらどうか?」と言われたことがあり、それは的確な助言だった。

 このような調子で一般質問が作られるのであれば、きっと「これ聞いてどうするの?」という一般質問が出てくることはないと思うのだ。

 まあ、職員も違えば考えも言うことも違うだろうから、そんなことから「一般質問が議員によってまちまち」が生じるのかもしれない。
そして、私自身もそのときどきで、まちまちだけども…。

 一般質問について、一般質問したい。

いつかの荒幡富士。車内から

写真:丸橋ユキ

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