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他人に×をつけられる作業

私がローンを組めるかもとか夢見るものではなかった。

今年の目標は「中古マンションを探す」でした。「でした」というか、現在進行形で探しております。現金一括で買うのはさすがに無理だから、ローンを考えていたのですが、私のような複数の会社からちまちまと業務委託を受けているような者が果たしてローンを組めるのか…不安はそこでした。
ローンを返していく自信はあります。今現在、ここ数年の年収からすれば、私が今借り入れしたいと思っている額は払うことはできると思います。

そんなわけで、先日、条件的にとてもいい中古マンションを見つけて、思い切って不動産屋さんに連絡をして内見に行きました。正直予算はオーバーしていて、無理かなと思ったのですが…一目で気に入ってしまって思い切って申し込みをすることにしたのです。

でも、ここから地獄が始まるとは思わなかった…。
やはりローン審査が難関でした。「でした」というか、現在進行形で審査されております。まだ結果が出ていないのですが、かなり厳しめ。そして、精神的には結構限界。世の中のローンを抱えて生きている人らはこれに耐えたのかと思ったら尊敬です。もうローン組めなくていい。多分、今回のローン審査通らなかったら、私は一生ローン審査受けない。マンション、現金で買えるようにお金貯める、って思っています。
年収が低くても貸しますよ、でおなじみのフラット35も無理め。なぜかというと、ネックは年収額ではなく働き方だからです。

私は企業に所属しているわけではなく(ここでまず銀行1か所に門前払いを食らう)、一定の大きな収入があるわけではなく、複数の会社からの収入を合算した年収で、しかもそれぞれが単年契約であることが問題なのです。
安定した継続的な収入があると認めることが難しいということなのです。そのため、色んな証拠を集めなくてはならないようです。

源泉徴収票とか確定申告とか、それは皆出してますからね、いいですよ。でも、通帳の振り込み状況のコピーとかさー委嘱契約書とかさー、もう仕方ないことなんでしょうけど、普段さらさない私のプライバシーをガンガン持っていくわけですよ。辛い。
それでローン審査が通るんなら報われますよ。でもこれが審査ダメだったら、このショックから立ち直れるか分からない。

分かってるんですよ。簡単に(まともなところから)お金なんか借りられないですよ。名の知れた企業であっても、アルバイトで来年切られるかもしれない人になんか貸せないっていうのは分かりますよ。私を信用するために色々持っていくんだってわかってますよ。

でもね!

こころの底では、「企業に正職員で勤めてたってリストラに合わない保障なんかないじゃないか」「正職員でも生活費全部ギャンブルにつぎ込んで首まわらないやつだっているじゃないか」「正職員だって車やらなにやら複数のローン抱えて払えなくなる人もいるじゃないか」「単年契約の仕事が継続的に続いて10年生活できてるってところを評価してくれてもいいじゃないか」って思っていました。あなたにできる?ってちょっと思ってしまいました。傲慢。

それくらい、しんどかったです。
今の働き方を聞かれて、そのたびに「それは厳しいですね」ってため息をつかれるの。

私は自分の今までの働き方を後悔していません。今、この状況においても、後悔していません。でも、自分で「×」をつけていない過去を社会の価値基準で評価されて「×印」をつけられるのが悔しいし、辛い。
ローン審査をする人も仕事だし、どうしたら私がローン審査を通るだろうかって一生懸命に考えてくれているのも分かる。でも、その作業は私の働き方を、生き方を、価値観を否定されているような錯覚に陥るような経験です。決して否定されているわけではないと分かってはいる。でも、認めてはもらえないのです。

まだ審査途中なので、結果は分かりません。
報われるかもしれないし、ダメかもしれない。
報われてもなんかもやもやとした気持ちは残ると思います。ダメだったら、ダメージはもっと大きくなると思います。

まぁ、そもそも私がローンを組んでマンションを買おうなんてこと自体が身の程知らずだったんだろうなと、そこはちょっと、夢見たことを後悔している。「マンション欲しいなーなんちゃって」って思わなきゃいけなかったんだろうな。
私がローンを組みたいなんて思ったばっかりに、対応する不動産会社も今の苦労が徒労に終わる可能性が高いわけだから申し訳ない気持ちもあります。大変だと思うもの、他人のために頑張るの。

とりあえず、もう夢は見ません。人からお金借りてまで物を欲しがるのは止めます。自分で買えるものを買う。

とはいえ、もしも万が一、奇跡的にローン審査が通ったら小躍りしながらパーティー開きます。一人で。

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