知らないを知ること
10年前、進撃の巨人の連載が始まったころ、私はアメリカ南東部で高校生活を送っていた。
進撃の巨人連載10週年に伴う素敵なキャンペーンにより、これまでの物語を読み返していたら、日本の小さな町から大きな世界に出たと思ったら、なんだかもっと小さな世界にいた、あの時の違和感を思い出した。
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アメリカ南部といえば保守的で宗教色が強い傾向がある。
通っていた高校では、授業前にはお祈りをし、毎日一コマは聖書の学びを得て、さらに週3回教会へ行き説教を聞かないといけなかった。これらをこなすことで留学生は比較的安い学費で通うことができた。布教の意味があったからだろう。
高校生の私は、その教えに対して反発していたというよりかは、考えを押し付けられたり何かを強いられることが苦痛だった。
通い始めは、彼らの教えなんか理解してやるかという気持ちになったし、「広い世界に出ることを望んでいたのに、なぜ狭い考えのコミュニティに縛られないといけないのか?」と思っていた。
時が経つにつれて、同じ時間を密接に過ごすうちに、その教えがその土地の人々にもたらしているもの、役割を知った。
代々同じ宗教を信じることで家族の絆が深まったり、他人同士でもお互いの人生を思いあって過ごせていたり、酒やドラッグに溺れることなく健康的な生活を送れる。
結果その高校で3年間過ごしたが、その過程でやっと、
「こういう場所があって、こういう人たちがいる」
という事実を理解できた。
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世界は広いけど、今いる場所を飛び出しても、その先にはまた別の小さな世界がいくつもいくつもあるだけだ、というのを飛び出すまでは知らなった。
壁の中にいて壁の外を知らない、ということは自分たちの他は存在しない、存在を認めないということ。
壁の外に出ると、途方もなく色々な考えを持った人たちがいて、文化があって、それぞれが持つ正しさが対立するのはたやすい。
まだまだ知らないことや理解できないことが多くて、未熟な自分は学び続けなければいけないのだけど、、、まずは「知らなかったということを知る」ことができてよかったなと思う。
そんなことを進撃の巨人を読み返しながら思った。
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最後に、10周年おめでとうございます。こんな面白い物語を紡ぎだせること、尊敬してやみません。最終話まで見守っています。
また覗きに来てくださるとうれしいです~!