制約を遊ぶ:僕たちの新しい可能性
私たち「たくらみ屋」のオンライン雑談会「制約を遊ぶ」を開催しました。始まる前は、この少し不思議なテーマで、どんな対話が生まれるのか不安でした。でも、参加者のみなさんと一緒に、制約についての新しい発見のスタートをすることができて、本当に嬉しく思います。
「制約」との新しい出会い方
TOCの制約理論を学んでいると、よく陥りがちな思い込みがあります。「制約は取り除くべきもの」という考え方です。
ふと考えてみると、物理的な制約や市場の制約に直面すると、私たちはつい「嫌な汗」をかいてしまいます。コントロールできないことへの不安が、その原因かもしれません。でも、その制約と「遊ぶ」という視点を持つと、何か変わるのかもしれない...そんな対話が生まれました。
感情が伴う制約との対話
8年前、私が社内でTOC研修をしていた時の忘れられない場面があります。
「あなたの部門がボトルネックだって言うのは、あなたが悪いわけじゃないのよ。そこに流れとして詰まる事実があるからなんだよ」
この言葉を伝えた時、参加者の一人が涙を流しながら語ってくれました。その涙の意味を、私は今でも時々考えます。それは「今まで伝えられないけど、伝えなきゃならない」という思いだったのか、それとも別の感情だったのか。
感情が伴う制約は、実は一番厄介なものかもしれません。不安、恐れ、イライラ...これらの感情を伴うボトルネックは、簡単には「遊び」に変換できません。
コロナ時代が教えてくれた制約との向き合い方
昨日の雑談会で、ふと思い出したのがコロナ禍の経験です。世界中が制約の中に閉じ込められた時期。あの時、私たちは本当に制約と「遊ぶ」ことができただろうか。
私のクライアントの一人、アパレルのネットショップ店長さんの話を思い出します。リアル店舗をオープンした矢先のコロナ禍。でも彼女は言いました。 「こうなったら毎日インスタライブをしてやる。この状況を自分の好きな得意なことでやってみる」
結果として、これが大きな飛躍につながりました。厳密には「遊び」とは言えないかもしれません。でも、制約を前向きに捉え直す、素晴らしい例だったと思います。
制約で広がるクリエイティビティ
私が研修でよく行う即興劇のワークショップでは、意図的に制約を設けることがあります。例えば、「だから言ったじゃない!」という決めゼリフから10分間の寸劇を作る。
面白いことに、完全に自由に作るよりも、このように制約があった方が、アイディアは早く生まれます。制約があることで、むしろクリエイティビティが刺激される。これって、とても示唆的ですよね。
これからの私たちと制約の関係
昨日の雑談会を通じて、改めて感じたことがあります。組織の中で制約と遊ぶというのは、簡単なことではありません。それには、お互いの理解とコミュニケーション、そして何より「遊ぶ」という視点を共有できる関係性が必要なのかもしれません。
制約を遊びに変える。この新しい見方に、私たちはまだまだ楽しく学んでいく必要がありそうです。でも、その過程自体を楽しめたら...そう思いながら、雑談会を終えました。
これからも、みなさんと一緒に「制約と遊ぶ」という新しい可能性を探っていけたらと思います。次回の雑談会で、どんな気づきが生まれるのか、今からワクワクしています。