向こうとこちらと、その真ん中に
少し肌寒い風が、夏が終わったことを教えてくれる。いつかの日も、こんなに月がきれいだったように思われる。
窓際の一輪挿し。きらめく真っ青な彼岸花が胸をうつ。今日私が見上げる月も、きっと遠いところで君も見上げているのだろうと思う。私に霞む扉を見せてくれた君。
よく焼いた、というより完全に焦げているトーストが好きだった君は、この月を見てどんな言葉と戯れてばらばらの音にいのちを与えるのだろう。私は、君のことばを愛していた。
今日の月には、欠けているところがないらしい。ときおり降り出す雨と、分厚い雲はそれを私に見せてくれない。その奥にある、ちいさな光の面影によってのみ、私はそのあることを知り得ることができる。にじむ景色のなかに、必死になくしてしまった月の欠片を探し続ける。
私にとって大切だったのは、きっとそういうことを積み重ねることだったのだろう。目の前にひろがる、桃源郷のようないのちの輝きではなく、遠くで光り続けているその優しい、かすかないのちの光を見逃さず、たぐりよせ、掬いあげる、そんな営みだったのだろう。
この窓ではない。私があのとき見上げていた月は、この窓からのものではない。私たちはいつまでも始まらなかったし、だからこそ終わることもないのだと信じていた。
朝のまだ暗いうちの新聞配達を聴き、朝焼けよりもまだ夜に親しい空の白むのを見て、未来なんてこんなにも簡単に確信できるのだと笑った。
未だに夏に向かうことのできていない私の前には、いくつかの季節を飛び越えた秋が広がっている。長い雨のおかげで、今年は季節が分からなくて済んだのに。
このマッチは使わないでいようと思っていたのに。じゅうぶんに水分を吸収した頭薬は、もはや擦っても火花など生まず、情けない音をたてて崩れている。もう、箱の中には一本も残っていない。
青い彼岸花は、自然には生まれないのだと知った。白い彼岸花を青いインクに浸して作られるらしい。青い彼岸花が見たい私は、青いインクを注ぎ続けた。青いインクを注ぎ続けた、赤い彼岸花に。そうして赤い彼岸花は枯れ果て、音もなく消え去ってしまった。
だらだらと梅雨が惰性で続いている。飛び越えられない私だけが取り残されている。大きな月と、青い彼岸花と、私。君にみせたいのは、本当にきれいな私だけ。いちばんきれいで汚い私を見せてあげる。
(2021/09/22)
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