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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第14話 最後の聖戦編(1)

【SEA】

世界大会から一夜明けた翌朝、興奮冷めやらぬ早朝からキャディーバッグに慌てて荷物を詰め込むフリムン。

横浜から千葉へ向かう朝イチの電車に乗るためだ。

実は前日、家族は一足先に千葉へと移動し、今日の日に備えていた。

それは、娘たちの目的がフリムンの引退試合ではなく、予てから計画していた“ディズニーで遊び倒す”であったからだ。
しかも、ランドではなくシーにである(怒)

(いや怒るとこそこ?w)

そんな事だろうと薄々気付いてはいたが、これも家族のためだとダメージの残る体を引きずりながら、そそくさと千葉行きの電車に乗車。

車窓から覗く田園風景を眺めながら、祭りの後の静けさを堪能していた。

「昨日の出来事は本当に現実だったのだろうか?」

まるで夢でも見ていたかのような錯覚に陥るも、全身に走る痛みがフリムンを現実の世界へと引き戻してくれた。

その時、突然LINEが鳴り響いた。

慌ててスマホを覗いたが、その内容に祭りの後の静けさは一瞬で搔き消される事に。

「オトンまだ?」
「マジ急げっ」

予想通りLINEの主は娘たちであったが、朝の挨拶やダメージを心配するコメントは一切なし。

ただただ、今日という大切な1日を1秒足りとも無駄にしたくないという思いの詰まったコメントであった(涙)

ショックで気を失いそうになりながらも、何とか辿り着いたシーのステーション。

到着を待ちわびていた娘たちは、フリムンの姿を見つけるや否や、踵(きびす)を返し目的地へと歩きだした。

それも、時間を惜しむように小走りで(ウッソーン)

「ま、ま、待って、待って、待ってってば」

「遅いっ」
「急げっ」
「置いてくぞっ」

「鬼いいぃぃぃぃぃぃぃぃいいん( ;∀;)」

泣き叫ぶフリムンを無視して歩き続ける娘たち(涙)
満身創痍のフリムンをイジッては大笑いする娘たち(涙)
心配してくれるのはオカンだけ♡(でもなんか腹立つw)
結局、辺りが暗くなるまで振り回される羽目に(涙)

こうして一日中振り回され続けたフリムンであったが、これまでにない達成感と久々の休日に、心癒されたのは言うまでもなかった♡

そんな家族との時間を楽しんでいる間、地元では世界大会の活躍が新聞で報じられ、フリムンのLINEには信じられない数のメッセージが寄せられていた。

そう、実はYouTube配信を生観戦していた地元記者から、大会後に電話インタビューを受けていたのだ。

そんな地元紙のお陰で、石垣島では本人不在のまま世界大会フィーバーが沸き起こり、祝賀会の予約が殺到。

重ね重ね、島の人たちの愛を感じずにはられなかったフリムンであった♡

八重山毎日の特集記事と人生初の一面記事
八重山日報の特集記事とGYMの掲示板♡

こんな記事を見せられたら、関係者でなくとも大騒ぎになるのは当然。

本当に、本当に、愛に溢れた地元紙である(感謝)

【インディーズ・ムービー】

クタクタになるまで一家団らんを楽しんだ翌朝、羽田空港へ向かうリムジンバスの中で、ここまで辿り着けた感謝の思いで胸がいっぱいになっていたフリムン。

那覇空港までのフライト中も、31年前に東京から帰省する機内でのことを思い出していた。

あの時は“都落ち”のような侘しさがあったが、今回はある意味“凱旋”である。あの不安に苛まれていた機内とは雲泥の差であった。

当時は想像すらできなかったここに至るまでの空手人生。

不思議と走馬灯のように脳裏を過ったのは、微々たる成功例などではなく、数えきれないほどの失敗や挫折であった。

思い返すのも苦痛だった痛々しい過去も、こうなると全てが良き思い出となり、逆に武勇伝にさえ思えるのだから不思議だ。

過去は変えられないとよく言うが、実は未来次第で幾らでも変えられるのが過去である。

これまで、何かを成し遂げる度にそう感じてきた。

人生とは、生まれてから死に至るまでの物語を一本にまとめたインディース・ムービー(自主映画)のようなもの。
そして、その映画を面白くするのも退屈にするのも、全て監督の手腕次第だ。

ただ一つだけ言えるのは、面白い作品に順風満帆という言葉は当てはまらないという事だけである。

大したピンチもなく、ただ悪戯に過ぎ去る日々を描いた物語に、心を動かされる観客は限りなく少ないだろう。

幾多の失敗や挫折を乗り越え、それを糧に大逆転劇に転じる主人公の生き様にこそ、観衆は拍手喝さいを送るのである。

そして、ピンチが多ければ多いほど観客は主人公に感情移入し、心から一喜一憂するのだ。

そんな波乱に満ちた半生を送ってきたフリムン。自らが制作、脚本、監督、主演を演じた銀幕の中で、文字通り一喜一憂しながら走り続けてきた56年と9ヵ月であった。

それから暫しのフライトを終え、乗り継ぎで立ち寄った那覇空港で娘たちに別れを告げた後、そのまま石垣島へと飛び立ったフリムン。

機上から見る5日振りの島の景色は、疲れ果てた彼の心を優しく癒してくれた。

しかし、そんな彼を待ち受けていたのは、予想だにしなかった衝撃の光景であった。

【パニック・イン・エアポート】

アッと言う間に「南の島(ぱいぬしま)石垣空港」に到着したフリムン夫妻。

荷物を受け取り、ロビーに出た二人の眼前に広がっていたのは、胸を打つような感動の光景であった。

何とロビーいっぱいに大勢の人だかりが出来、フリムン達の帰りを待っていてくれたのだ。

その数、総勢50名以上というトンデもない数字であった。

空港ロビーに溢れる道場関係者と地元取材陣( ゚Д゚)

そうとは知らず、ディズニーシーで購入した“ミッキーTシャツ”で帰島してしまったフリムン。

余りの恥ずかしさに、受け取った花束でTシャツのプリントを隠しながら、しどろもどろでインタビューに応じるしかなかった。

花束で必死にTシャツのプリントを隠すフリムン(恥ずっ)
まるで芸能人のような歓迎振りである(感激っ)
道場関係者が記念に制作した横断幕(凄っ)

こんな幸せが他にあろうか。

出発前の見送りや、会場に来て頂けただけでも十分幸せなのに、更にこんなにも大掛かりなサプライズを用意して頂き、フリムンは感動で卒倒しそうになっていた。

これが巷で噂のミッキーTシャツである(笑)
翌朝の地元誌でも大きく報じられた

【祝賀会ラッシュ】

空港での出迎えに始まった世界大会の余韻。
その余韻は、何とそこから半年近くも続いた。

空手関係者はもちろん、親戚、同級生、職場、友人知人が酒宴の席を用意。

来る日も来る日もフリムンの世界大会入賞と引退を祝してくれた。

極真石垣道場(道場の駐車場にて)
八重山空手道連盟(御用達の蓬莱閣にて)
フリムン家の親族(道場にて)
幼馴染P-SIZE(同級生「徳二の店」にて)
同級生ぴのえうま会(同じく「徳二の店」にて)

他にも大小合わせて二桁にも及ぶ祝賀会が催され、アルコールによるホルマリン漬けの如く、酒浸りの日々が実に半年近くも続いた。

ただ、これもフリムンが他者との繋がりをより大切にしてきた証でもある。

フリムンのような立場の人間にとって、人間関係を如何に円滑に進めるかはとても重要な問題である。

それに対し、一切の妥協を許さずやってきたからこその宴の日々であった。

それから時は過ぎ、道場を興してから30年という節目を迎えた2024年七夕の日。

極真八重山30周年記念大会&祝賀会が、多くの関係者を招き盛大に執り行われた。

フリムンが58歳の誕生日を迎える直前の事である。


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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。


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