【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第13話 最後の聖戦編(9)
【引導】
こうして、現役最後の戦いは「決勝戦」ではなく「3位決定戦」に変更となった。
もちろん不本意だが、これがフリムンの現時点での実力であり、それ以上でもそれ以下でも無かった。
現実とは、得てしてそういうものである。
ただ、最後の相手がライバルである加藤先生であったのは幸いであった。
あの全日本の決勝戦以来の戦いである。
少しではあるが、成長した姿を見せる事が叶うのだから有難いことだ。
果たして、現役最後の試合は幕を開けた。
前回ほど力の差は感じなかった。
何なら終始フリムンが先手を取っていた。
それに、あれほど強いと感じていた突きが、以前ほど力強く感じなかった。
これも、対外国勢3連戦のお陰であった。
あのバカげた攻撃を受け続けたお陰で、短時間ながら耐久力が格段に上がったのだろう。
もしくは神経がバカになり、麻痺していたのかも知れない。
理由はどうあれ、もう日本人の攻撃では倒される心配は無いと感じた。
それに加え、フリムンの突きが若干効いているようにも見えた。
やはり、流した汗はここでも嘘を付かなかった。
しかし、有利に試合を進めてはいたものの、かと言って旗を上げさせる程の差もなかった。
そのまま延長になるかと思われたが、ラスト10秒で猛ラッシュを仕掛けられた。
加藤先生の必勝パターンである。
予想はしていたが、もうフリムンに踏ん張るだけの力は残されていなかった。
脹脛の筋肉が硬直し、押し返すことも出来ずズルズルと後退。
結果、「5-0」の判定で有終の美を飾ることはできなかった。
踏ん張りが利かず、最後は怒涛のラッシュに飲み込まれた
試合終了後、加藤先生から「メチャクチャ効きました」「最後に試合できて本当に良かったです」と声を掛けられた。
それが、せめてもの救いだった。
ちなみにフリムンにとってはこれが最後の試合だが、加藤先生はまだまだ現役を続けるとの事。
これほど強い日本人選手と、ライバルとして競い合えた事に誇りを感じていた。
そして、そんな尊敬する空手家に引導を渡され、気持ちよく引退することができたのも何かの縁であろう。
それでも、現役最後の日に二度も敗北を喫してしまった事に変わりはなかった。
優勝すると豪語しておきながら、表彰台に上る事も叶わず。
そんな結果に終わったことが情けなく、武道館の壁に持たれながら塞ぎ込んでいたフリムン。
そこへ、応援に来ていた幼馴染のカッツロー君がやってきた。
落ち込むフリムンを抱きしめながら、背中を摩り、慰め続ける彼の優しさに、人目も憚らず泣き崩れたフリムン。
その時、何故か親父の声が聞こえたような気がした。
記憶の中には存在せず、残された写真の中でしか知ることのない親父。
その親父が、フリムンの耳元で囁いてくれた気がした。
そして、あの名作「グリードⅡ」で見せた父ドラゴの様に、全力を尽くした息子を優しく抱きしめ、慰めてくれた…ような気がした。
「もういいんだ」「もう十分頑張った」と。
息子として、父に抱きしめられた記憶もなく、そして父として、息子を抱きしめる事も叶わなかったフリムン。
その夢が、漸く叶ったような気がした。
例え肌で感じられなくとも、心の中では確かに実感できた。
父は間違いなくフリムンの中で、確かな存在として生き続けていたのだと。
【億万長者】
長きに渡り酷使し続け、ボロボロとなった我が肉体。
それでも、都合二日間、全4試合を全力で戦い抜くことが出来た。
大会終了後、血尿が出るほどのダメージを被ってはいたが、ギリギリまで、本当にギリギリまで持ち堪えてくれた我が肉体に、フリムンは心から感謝していた。
何度も何度も持ち主の“無茶ブリ”に応え、死の淵からゾンビの如く蘇り続けたこの肉体。
そんな体を引きずりながら、フリムンは痛々しい姿で表彰式へと向かった。
偶然にも、プレゼンターは沖縄支部のレジェンド、元世界王者の宮城師範であった。
それでも、悔いは無かった。
切磋琢磨してきたライバルの加藤先生と新井先生。
日本の王座を死守する事は出来なかったが、この二人と最終日まで残れて本当に良かった。
それに、世界王者となったリンコン選手と、現役最後の日に相まみえた事は、きっと今後の財産になるだろう。
誰かが言ってた。
世界チャンピオンは強い人がなるのではない。世界チャンピオンに相応しい人がなるのだと。
そう考えると、やはり世界チャンピオンに相応しいのはフリムンではなく、リンコン選手なんだと納得できた。
こうして、全てを出し切って戦い抜いた二日間。
何があろうと逃げることなく、走り続けた30年に及ぶ現役生活。
悔しさは残るものの、心の中は晴れ晴れとしていた。
それに、もう使い物にならなくなったものの、これからも後進のために頑張って貰わなくてはならないこの肉体。
フリムンは、これ以上ポンコツにならぬよう、暫く休ませることを約束した。この時は(笑)
ちなみに今回の引退試合で、島の人々の愛を心底実感したフリムン。
「どんな億万長者でもあの世に金は持って行けない」
「持って行けるのは思い出だけだ」
と誰かが言っていたのを思い出した。
もしそうであるならば、数えきれない程の思い出を作る事ができた自分は、世界一の「億万長者」だと胸を張った。
多忙な最中、遠い所から駆け付けてくださった大応援団。
必死に応援するその光景を見つめながら、自分は本当に愛されているんだなと確信。
そして、それと同じだけの愛を与えてこれたのだと、自らの境遇に心より感謝した。
本当に、最後の最後まで感動に包まれた世界大会であった。
こんな恵まれた空手人生を送れるとは、30年前には想像も付かなかった。
こうして、二日間に渡り熱い戦いを見せてくれた世界の空手家たちに別れを告げ、フリムンは横浜を後にした。
もうここに選手として戻って来る事はないが、この日の思い出は、生涯忘れ得ぬ大切な思い出になる事は間違いなかった。
こうして、世界大会4位入賞を手土産に現役を引退したフリムン。そんな彼に、まだまだ安息の日が訪れる事はなかった。
次回より、世界大会の翌日から現在までを描く『その後のフリムン伝説編』に突入。
乞うご期待!!
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この記事を書いた人
田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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