【人狼note】ガチ勢とエンジョイ勢の違い〜"間違える"ということ〜
お久しぶりです。まるこです。
先日、久しぶりに人狼をしました。
クローズ会では半年ぶり、オープン会ではなんと1年半ぶりという。自分の中でも驚きの低頻度となっておりました。
でもしょうがない。
金と終電と休日が見合わなかったんや...
23時終わりだと終電を逃して1時間弱歩くことになり、土日にも休みがほぼ無く、平日夜イベントにすらも行けないという難民でした。
というわけで久々の人狼に合わせて
久々の人狼ばなしです。
今日はガチ勢とエンジョイ勢の違いを紐解き、間違えると言うことに対する認識をアウトプットしていきます。
1.ガチ勢とエンジョイ勢の違い
さて、皆さんはよくゲームで、「ガチ勢」「エンジョイ勢」という言葉を聞きますね。
人狼などのゲームにおけるガチ勢とは"勝敗や得点、テクニックにこだわり、本気で勝負するプレイヤーのこと"を指すとのことです。
対してエンジョイ勢は、"ゲームや勝負事において、結果よりも楽しむことを重視したいと考える人たち"のことを言います。
でも、ちょっと待ってください。
わたしは以前の記事でも紹介してきているように、最終的な勝った負けた、よりは楽しさを重視することを重点に置いているので、いわゆるエンジョイ勢になるかと思いますが、
最初からこのゲーム、負けちゃっても楽しめればいいからふざけて霊媒5CO目しちゃお〜!とは思ったことはないです。負けようと思って負けてる人なんてエンジョイ勢にいないと思うんですよね。
じゃあなにが違っていて、
いままでなぜ論争が起こるくらいの溝が生まれてきてしまったのでしょうか。
私の中の超極端ガチ勢とエンジョイ勢的な天使と悪魔を創造し、それぞれの主張を聞いていこうと思います。今回は人狼ゲームにおいてのみの紹介です。
2.とあるガチ勢A氏の愚痴
あーあー。今日の人狼ゲーム無駄に負けたよー。あそこでなんで安定進行しないで決め打ってんだよー。
4日目なんだからバランス吊りすればいいじゃん。確白も確白だよな。ああいうときは一本指定するべきでしょ。進行間違えるやつばっか生きてんだからさ。いやあの村はもう行かないわ。メンツ弱すぎ。エンジョイ勢ばっかだと勝てないから、行くとこ選ぼ。
3.とあるエンジョイ勢B氏の愚痴
今日の予言だった人怖かったわ...あそこでローラーしない村謎とか言われて...残った方が本物だと思ったから謝ることないと思ってスルーしたらなんかキレられるし...
はあ、僕なんかがこんな人達と人狼するのは難しいんだろうな...そこそこルールとかわかってるつもりだけど、ガチ勢怖いし。初心者会?とかいうやつ探そっかなー。
4.比較をしてみて
さて、皆さんはこの違いをどう感じましたでしょうか。A氏もB氏もお互いがそれぞれ互いに合間見えなさそうな人たちの設定にしてみました。
ガチ勢はどこか専門家っぽく、特殊用語が多そうなイメージです。また、どこからか見つけてきた、"安定進行"・"セオリー"を活用しながら、自分の勝率を高めることがプラスと感じている人たちなのでしょう。
つまり勝率を下げる要素への許容をあまりしたくありません。何故ならシンプルに自分の勝率が下がるから。本気で勝利を目指すんですけど、その過程の中の負けを極力排除したいのかなと。そこが違いだと感じています。
なので間違えること、ミスすることを極力減らしたいため、エンジョイ勢が苦手という人が溝を作っているのだと考えます。
B氏は怖い人に当たられてしまったことでその人への嫌気がさしてしまったみたいですね。残した予言者が偽物で負けたことから責められてしまったことが不快だったようです。おそらく、間違えて自陣営が負けたことよりも、その人の発言によって楽しくなくなってしまった方が嫌だったのでしょう。
つまり、エンジョイ勢は勝ちを目指している過程で、勝とうが負けようが、そのゲームが楽しくなくなってしまう言動そのものが特に苦手であり、専門用語盛りだくさんでわかりにくい、負けると文句を言う人をガチ勢と区分けし、苦手意識をもっているのだと考えました。
5.人狼ゲームでのプレイヤー間の溝を無くすポイントは"間違えることへの許容"を持つ文化
オンライン系のゲームにおいては"レート"というものがありますから、ある程度個人の勝率を維持したいのは、それに命を燃やしている方にとっては優先順位が高いのはもちろん理解できます。
なので、"なるべく勝率上げたいから、ごめんだけど初心者さんは積極的な交流難しいよ"くらいの線引きは全然いいと思います。強い人と戦う機会は多く持った方が自分のスキルアップにつながって力つきますし。それで結果勝てるのがよければ有意義に強い人と戦う時間作っていくべきです。
でも、人狼ゲームという、不特定多数の人が無作為にチームが別れるゲームにおいては、この価値観は一度置いておいて、間違いを許容する努力がとても大切だと思います。
それは相手の力量もわからなければ、それぞれの価値観も違うからです。
もし、"自分が勝率100%で終えることが最高のゲーム"だとしたら、反面誰かにとっては"勝率0%で最悪なゲーム"となってしまう可能性があります。
いっぱい間違えて負けたとしたとき。間違えたことを責められ叩かれたら、次はもうミスできない、ミスしたくないと臆病になってしまいます。怯えながら、責められながらするゲームほどしんどいものはありません。
でも、負けまくっても良い議論ができた、騙りが頑張れた、処刑されたあといい戦いを見た、よく悩んだと周りが言ってくれるゲーム会だったら。
きっと次も、その人は人狼のイベントに参加表明をすることでしょう。そして次なる強いプレイヤーがそこから生まれるのです。
間違えることは不正解ではありません。ミスをする自分も、周りの人も愛しんでいきましょう(笑)
その文化がガチ勢とエンジョイ勢の溝を少しでも埋めていくと思います。(まあ暴言云々は正直ガチ勢というよりもキャパシティ狭くて言動が悪いって人なだけであってガチ勢でくくっちゃうのアレなんですけどね。でもエンジョイ勢の思うガチ勢ってこんなんだよね)
6.まとめ
だいたいの人は人狼ゲームは遊びでしていると思います。
遊びでまで仕事みたいに間違いやミスを恐れてたらもったいないです。というか責任もなんもないですし(笑)
むしろ人狼ゲームしてるときがコミュニケーションにおいて間違いを許されるチャンスですよ。死んだ人、次のゲームでちゃんと蘇りますから。
というか、ミスをミスとして捉えなくなると、振り返りからの反省がすごくスッキリするんですよ。ここでこういう発言できたかな?とか、ここで相手陣営はどうやって信用取り込んだのかな?とか。ミスをミスとして必要以上に責める時間は他者にするにも自分にするにももったいない。これは仕事でもそうなはずです。
誰かが人狼ゲームは間違える村人がいるから成り立ってるんだって良いことおっしゃってました。誰か思い出せないのでソースください。
ではまた次回のnoteでお会いしましょう。
間違いは故郷。誰にでもある。
ピーウ♪
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