10年ぶりの帰省
施設の母がコロナで…
私の母はもう97歳で、実家の兄が施設に入れてお世話をしている。クズな私は母のことは兄に任せきりで、もう30年近くにもなる。
そんな母が施設内でコロナに感染し、肺炎を起こして入院した。
ものが食べられなくなり、看取り介護に移行する。あと1月持たないということであるが、積極的な延命はしないようにしようというのが、家族の方針。
皮肉なことに、看取り介護になってから自由に見舞いができるようになった。
平時はコロナ感染対策で見舞いが認められなかったのに、そのコロナで看取り介護になったから見舞いができるようになった。
ある意味、コロナ様さまということか
そして金曜日に仕事を休んで母を見舞いに行った。
見舞い
翌日、京都から長野県上田に移動し、兄の車で市内の施設へ。
自分はここへ来るのは初めてだが、随分と小ぎれいな施設。
食堂の奥に看取り部屋の個室があった。普通の個室病室と変わらず、ただあちこちに花を飾り、明るい雰囲気が出るように配慮されている。
母はベッドに横たわりうつらうつらしていた。
思ったより面影は残っているが、水分をとらないので肌が乾燥しきっている。兄曰く、退院するときはもっと悪かったらしいが、これでもゼリーを少し口にするぐらいには回復したようだ。
ただ、水分の補給は、その日も2回食べたゼリーのみ。1日60ccほど。確実に老衰が進んでいる。
まず兄がいつものように話しかけ、そのあと私が大体10年ぶりに話しかけた。私のことは覚えていないようだ。
兄が「桃のゼリー食べよう」と言い、職員さんに食べられるようにこしらえてもらう。
「浅田真央のフィギュア観るか」と、ノートPCを持ち出して録画をみせる。母の最近の推しは浅田真央らしい。
職員さんが、こしらえた桃のセリーを小皿に少々持ってくる。
兄は声をそれを食べさせてあげる。
一度に食べるのは難しく。休憩をはさんで。母は少し眠ったあと、再び兄がたべさせる。
私が食べさせることは論外という空気で、こちらから提案もしなかった。
母が眠ると、兄と今後の話をする。
「家族層にするから」と兄。こちらも異存はない。
すでに、本人の前で…とか綺麗ごとで言ってられない状態になっている。今日の見舞いで私は最後になるだろう、ってこともあり。
兄と一緒に、いったん実家に行って休憩。
車で10分ほどの距離。退院してから2週目だが毎日このルーチンだという。兄はもう年金生活だが、母の介護が今の仕事。言わなかったが相変わらず立派だなと思った。
午後の見舞い
午後2時ころ、再度母の部屋へ。
母は午前中よりずっと顔色がよくなっている。
午前と同じように、桃ゼリーを食し、浅田真央のフィギュアを観て、もう一度話し掛けてみる。
今度は、私のことも認識してくれたようだ。そして
何か口を動かしている。
「おくさんは?」
妻のことも認識してくれている。嬉しくて泣いた。
続きが少しあるのだが、今日はここまで。