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年表を黒く塗りつぶす大人に心からのあかんべ -1ヶ月書くチャレンジ Day5-

こんにちは。まるやまです🍡

なんとか5日連続で投稿できそうな気配にひと息ついています。

昨日までのnoteを読んでくださっている方、スキを押してくださった方、ありがとうございます! おかげさまで今日も書こうと思う気持ちが沸いてきます。

5日目のテーマは「昔はどんな子どもだったのか」です。

家族や友人とこの話題になるといつも驚かされます。みんな、自分が小さい頃の記憶をとてもよく覚えているからです。

あなたが覚えているいちばん若い記憶は、何歳のものでしょうか?

自我が芽生えている年だけでなく、赤ちゃんの時期にどんなおもちゃで遊んでいたかや、なにをしたら喜んでいたかを細かく話せる人もいますよね。きっと記憶の引き出しがよく整頓されているのだと思います。

わたしはどうも曖昧で、生まれてから大学あたりまでの思い出があやふやです。気づいたら成人していた気がしてなりません。

ぼんやり思い描ける昔の記憶はいくつかあります。

ただ、写真のように切り取られた記憶のショットはわたし視点ではありません。もっと後ろに引いて、遠くから眺めている画角です。わたしと誰かが映っているのをカメラで撮ったみたいな感じで頭に浮かんできます。

ずっとそのことを不思議に思っていました。

重いうつを患った時期にお世話になったカウンセラーさんに教わって、自分なのに別の人を眺めているような感覚は「離人感」と表現するらしいと知りました。

わたしがどんな子どもだったかは、明確に「やっていたこと」が残るビデオテープやアルバムの写真、それから家族の話によってかなり補完されています。書いていた日記も多少は助けになっています。

それによると、敷かれたレールの上をはみ出さずに気をつけて歩きつつ、ときどき思いついては走り出し、裸足になって線路にあかんべえをするような子どもだったみたいです。

基本はまわりの顔色をうかがいながら暮らし、ときどき極端に振り切ったことをするイメージです。

幼稚園に通っていた頃は、妹弟の世話をテキパキしていたとのこと。背伸びしたお姉ちゃんらしさが見えると思いきや、ソファに座ってテレビを見る妹の足をもぐもぐ口に含んでいたこともあります。

このシーンはビデオテープに残されていました。食べたいほど可愛かったのでしょうか。あるいはその逆か。証拠って恐ろしいですね。

小学校では担任の先生から「計算ドリルの鬼」と呼ばれるくらい学習に熱心だったそうです。クラスの代表や生徒会に手を挙げたり、男女の分け隔てなく仲良くしたりなど超がつくいい子ちゃんでした。世界は通信簿でまわっていました。

その裏では、学習机の下に秘密基地をつくり、親に隠れてゲームボーイでせっせこポケモンを進めていました。つたない漫画を仕上げて少女向けの雑誌に応募したこともあります。

こどもちゃれんじでポイントを貯めると漫画家が使う原稿用紙やインクペンのセットがもらえたんですよね。懐かしすぎて涙でてくる。

思春期を迎えた中学では、人見知りでクラスメイトに会うのが怖くて近くのコンビニすらひとりで行けないくらい気弱でした。

なのにどこで肝っ玉を手に入れてきたのか、舞台の上で大きな声を出して役を演じながら自分を主張する演劇部に飛び込みました。家族も相当たまげたそうです。

高校の制服のスカートは膝丈から一ミリも短くせず、歩く校則レベルできっちり守るくそがつく真面目な生徒でした。まわりの子がなぜ先生に叱られてまで髪を染めたり、メイクしたり、派手な色のカーディガンを着たりしたがるのかさっぱり分かりませんでした。

二年生の時に、交換留学でアメリカへ一年ほど行くことになりました。向こうで自由の風に揉まれたわたしは、バチバチにピアスを開けて、ヘソだしルックとピンクのグラサンとビーサンで飛行機を乗り継いで日本に帰ってきました。当時の写真を見ると「これ誰?」と尋ねたくなります。

たぶんこれらのいくつかか全ては、思い返すのが恥ずかしい「黒歴史」に該当するのだろうと思います。

誰しもあまり掘り返したくない過去があるものですよね。でも当時は未熟な幼心なりに、誰かに相談したり言葉にしたりはできなかったけど何かしら表現したいことがあったのかもしれません。あるいは、閉じ込めた何かを解放したい気持ちがふつふつと沸いていたのかも。

そう考えてみると、黒歴史って意外に大切な成長のステップなのかもしれないですね。

この記事は、いしかわゆきさん著「書く習慣」の巻末で提案されている「1ヶ月書くチャレンジ」を実践しています。
30個のテーマを1日1個ずつ書いていきます。


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