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人間になりたかったアメーバ その1

「はやく人間になりたぁ〜い!」

私は書いたばかりの「できなくなったこと」リストをほうり投げました。頭から布団に潜り込んで、まるくできた穴に向かって叫びます。

荒く息を吐きながら、子どものころにくり返し読んだ童話の「王様の耳はロバの耳!」を思い出しました。毛布はなにも言わずに、かまくらのように膨らんだ私の身体をあたためてくれました。

ほこりくさい空気をすんと吸うと、心がしだいに落ち着いてきます。

いまから10年前の2012年に、私は治療を受けていたうつ病が悪化し、ほとんど寝たきりになりました。

しばらくは、食事はおろかトイレに行くのすら先送りしていました。それから数年かかりましたが、いつしか身のまわりを整えたり簡単な家事をしたりできるようになりました。

これは、ようやく心身の状態がともに安定してきたいわゆる回復期のお話です。

「はやく人間になりたい」という室内レクリエーションを知っていますか?

体をつかったじゃんけんゲームで、勝つと次の生きものに進化でき、負けるとひとつ前の生きものに退化してしまいます。

初めは全員がアメーバからスタートします。進化するとなぜかゴキブリになり、その次はカニ、それからうさぎ、ゴリラを経て最後は人間になります。

じゃんけんは同じ種類の生きものとしかできません。アメーバはのっそりネバネバ歩き、カニは指でハサミをつくって横歩きするなど、生きものごとに決まった動きがあります。それを楽しみながら勝負する相手を探すのです。

終了の合図までに人間に進化することを目指します。じゃんけんの結果に従って、参加者がさまざまな生きものになって動きまわるこのゲームは、人数が多ければおおいほど盛り上がります。小学生のころはクラスや同じ学年の子どもが一斉に参加して遊んでいました。

当時の私は、かけっこの速さや頭のよさでなく、単純にじゃんけんの運で決まるこのゲームはある意味フェアだと感じていました。

しかし、どれだけ連勝していても、ひとたび負けが続くとたちまちアメーバに逆もどりしてしまいます。まわりの子はどんどん人間になっていくのに、自分だけまだ進化の途中の生きもののままなのです。

時間が経つにつれ、じゃんけんの相手を探す私の視線が鋭くなっていきます。ゲームの終わりを告げる笛が鳴り、遠くで歓声が聞こえるなか、四本足のポーズのまましばらく動けずにいたこともありました。柔らかい手のひらに小石がくい込む痛みも覚えています。

アメーバではなくアラサーになった私が叫んだ「はやく人間になりたい!」は、あのころ味わった感覚によく似ています。

健康なときはまわりの人たちと同じように何も考えずにできたことが、簡単にはできなくなっていると気づいたのがきっかけでした。

お店でご飯を食べること、毎日きまった時間に起きて職場に通うこと、朝から夕方まで働くこと、買い物にいくこと、依頼された作業を締め切りまでに完成させて提出すること、友だちと会っておしゃべりすること、電車やバスに乗ること、美容院や参加したいイベントに予約の電話をかけること、指定の席で映画を見たり講義を受けたりすること、泊まりで旅行すること……。

このすべてがうまくいかなくなりました。しかも、私にとってそれは「できない」という言葉で表せるほど単純ではありませんでした。まるで、時間をかけて乗せただるま落としの積み木を小づちでたたき落とされ、自分だけ他とはちがう背の低いだるまになってしまったような気分でした。

できるつもりで約束したのに、当日になると身体が石のように動かなくなってドタキャンをくり返してしまいます。

締め切りまで仕事に手が着かず、期限の前日に徹夜で鬼のような形相になりながらかたづけます。

何かをやる前から身構えて気力を振り絞ってしまい、終わるとドッと疲れて二日は寝込みます。

過呼吸や吐き気などのパニック症状が起き、始めたことを途中で止めざるを得なくなります。

寝たきりから日常のルーティンをこなせるまで回復したら、次にやるべきはハローワークに行って仕事を得ること、そして働いてお金を稼ぎ、自立しながら生活していくことだと思っていました。

わずかに持ち上げた布団のすき間から「できなくなったこと」リストを眺め、私はようやく勘違いに気づきました。人生は「はやく人間になりたい」ゲームのように、じゃんけんに勝つだけでとんとん拍子に進むものではなかったのです。

まっすぐ連勝できる人もいれば、ゴリラまで上がった途端にカニまで戻り、そこからなかなか這い上がれない人もいます。グーかチョキかパーしか出してはダメだと思い込み、打つ手がないと諦めてしまう私のような人もいると思います。

あれから何度も負けたり勝ったりをくり返し、三歩進んでは二歩下がる日が長く続きました。とっくに終了の笛は鳴っているかもしれないけれど、一応、いま私は人間として暮らしています。

私が歩いてきたゲームはどんな道のりだったのか、なんの手を出したら次の生きものになれたのかを、これから書いていきます。

人生はひとりだけ勝ち上がる殺伐としたゲームではなく、みんなが一緒にアメーバから人間へ上がっていけるゲームだと思っています。

あなたがこの先を読んでいくなかで「ちょっと試してみようかな?」と思えるお話が見つかったら幸いです。

 

この記事は、倉園佳三さん・佐々木正悟さん主催「書き上げ塾 第七期」を受講して書いたものです。マガジン形式で更新していきます。


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