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しつけは「最低限で」、すませたい

しつけは「礼儀作法を身につけさせる指導だけではない」とする考えがある。「社会性を育む指導も含む」そうだ。しかし「社会性を育む指導も含む」は、しつけの「拡大解釈」だと思う。

「しつけ」が必要なのは、人間だけじゃない。「犬のしつけ」では、犬に人間と生活するための「最低限の行動」を仕込む。

しつけは、「最低限の行動」を身につけさせる指導。だから、相手が動物でも人間でも「仕込む」必要がある。

粘り強く、ほめながら仕込んでいくのだが、仕込まれる側にとっては「押しつけ」であるところに「しつけの本質」がある。

「勉強としつけ」をアピールしている学校がある。小学校かと思ったら、地方の私立中高等学校だ。しかし「幼児のしつけ」ならともかく、「生徒のしつけ」なんて違和感しかない。

思春期の子どもを相手に「しつける」なんて発想で接したら、抵抗されるだけ。「子どもを尊重する、成長段階や個性に合わせた“しつけ”」なんて、本気で思っているのだろうか?

最近、「しつけ」は耳にしない言葉になった。漢字の「躾」も、目にしない。「しつけ」の「押しつけるイメージ」が、敬遠されているのかもしれない。しかし、たとえ敬遠されても、しつけの本質は「押しつけ」なのだ。

着物を仕立てるときには「仕付け糸」が、使われる。「仕付け糸」は、縫い目や折り目などを「仮に押さえるため」に、縫っておく糸。完成すれば不要になる。洋服で言えば、スーツの上着やスカートに付ける「ばってんの糸」をイメージすればいい。残っている方が恥ずかしい。

「しつけ」は、乳児期から幼児期に必要な大切な指導。だけど、いつまでも続ける指導じゃない。「仕付け糸」みたいに、「身につけさせたらサッと止める」指導なのだ。

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